柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛されて生きる」1ヨハネ4章7-10節

柏原教会 2016年 秋の特別伝道礼拝
宣教:有賀喜一牧師
 (全日本リバイバルミッション代表・伝道者)

【愛されて生きる】(1ヨハネ4章7〜10節)
『ここに愛があるのです』


10節に『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです』とあります。

かつて、私は、本田弘慈先生のカバン持ちとして、『ここに愛がある』というポスターを持って、日本また海外のあちこちを回りました。

キリスト教は、理屈ではありません。「キリスト」と「十字架」がわかったら、素晴らしい信仰の出発になるのです。

キリストが、私の罪の身代わりとして十字架に命を捨てて下さった。

私たちの信仰生活の始まり、信仰生活の過程、そして、信仰生活の終わりは十字架であります。

キリストの十字架には、神の現れがあります。
神は、罪のないイエス・キリストをあなたの身代わりとして十字架に架け、無限の愛を現して下さったのです。
あなたは、この神の愛で愛されているのです。
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よすべてが新しくなりました』
この愛に生きる時、あなたは一変します。
愛を多くの人は誤解しています。愛は感情だと思っています。
第一に、十字架は、驚くべき神の現れであります。
第二に、神の驚くべき犠牲であります。
このようなイエス・キリストの犠牲によって、あなたは、自分で難行、苦行、努力をしなくても、ありのままで、イエス・キリストを受け入れるだけで救われるのです。赦されるのです。そして、イエス・キリストは三日目によみがえられました。それによって、私たちに永遠のいのちを与えて下さった。何という驚くべき犠牲ではありませんか。
第三に9節に『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました』とあります。このキリストを受け入れなかったら滅びです。キリストを受け入れたら命です。死と命、キリストの十字架は死、しかし、キリストの十字架は三日目の復活。命に直結しています。このような人は、未だこの地上にいた試しはありません。いかなる聖人、君子であっても、死んで、よみがえった人は一人もいません。しかし、イエス・キリストだけは、十字架に架かられただけでなく、三日目によみがえられた。よみがえった命は、人間の命ではありません。神の命です。まさにそれは生まれ変わり、新しいいのちです。イエス・キリストは、私たちにこの復活のいのちを与えて下さったのです。十字架は、神の愛の勝利であります。イエス・キリストの十字架上での最後の言葉は『すべてが終わった』です。これは、出来上がった、完成したということです。これは勝利の宣言です。いのちを得させて下さった。あなたを生きるものとして下さった。
クリスチャンは、何を言わなくても、生き生きしている、希望を持っている、何か確信を持って生きているという印象を、周りの人に与えているでしょうか。
日本の宗教は、全部代価を要求します。努力を要求します。修養を要求します。しかし、イエス・キリストの愛は、全く無代価、無差別、無条件の愛であります。このイエス・キリストを受け入れる時、誰でも救われます。
今日から、私たちも『いのちを得させて下さった。ここに愛がある』と言われる、この愛に『愛されて生きる者』とさせていただきましょう。お祈りをいたします。