柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「死後の希望」?テサロニケ4章13‐18節

今日は召天者合同記念礼拝です。先に、信仰を持って召された方々を偲ぶと共に、私たちは共に礼拝を捧げます。礼拝はこの地上だけではなく、神の国すなわち天国でも行われています。イエス・キリストを信じるなら、死はもはや恐れではない。むしろ新たなる出発点であることを私たちは覚えておきたいと思います。

1,眠った人々

読んでいただいた聖書に、「眠った人々」とあります。眠った人々とは、すでに死んだ人々のことです。ギリシャにテサロニケという町があり、イエス・キリストの救いが伝えられました。そして、信じ救われた人たちが起こされて、教会が誕生しました。
 しかし、その教会でも、死ぬ人が出て来たのです。私たちは、この地上で永遠には生きられません。怪我や事故、あるいは病で死ぬことがあるのです。それでは、死んだらおしまい、空しいことなのでしょうか。そうではないのです。たとえ死ぬことがあったとしても空しくは終わらないのです。なぜなら、私たちは死んだ後、イエス・キリストの救いによって天国には入れることが約束されているからです。天国にはどんな人が入れるでしょうか。悪いことをした人が入れるでしょうか。不正を働く人が天国で生きることが出来るのでしょうか。悪いことをした人は、そのままでは天国に入ることは出来ないのです。
どうすれば、天国に入ることが出来るのか。それは、自分の罪が、イエス・キリストの十字架によって赦されると信じることです。信仰によって私たちの罪は、十字架で赦され、キリストの十字架の血潮によって罪に汚れた心をもきよめていただけることが出来るのです。そして、心のきよい人が天国に入ることが出来るのです。しかし現実に死は悲しいものです。辛い物です。親しく話していても、もはや話しをすることが出来ない。一緒に笑ったり、喜んだり出来ないのです。
しかし、イエス・キリストを信じるなら、死に打ち勝つ、復活の希望が与えられるのです。


2,復活の希望

死んだらすべてが終わりなのか。そうではありません。イエス・キリストは私たちを復活させることが出来るのです。聖書の中に、死んで生き返った人たちの話が出て来ます。12才の少女や、ベタニヤのラザロなど、死んだ者が生き返ったのです。人々は驚きました。それどころか、イエス・キリストも十字架にかけられ死なれましたが、三日目によみがえられました。そして今でも、全世界でキリストの復活祭―イースターをお祝いしているのです。ですから、私たちには復活の希望があるのです。たとえ死んでも、よみがえる、その希望がこのところに記されています。
まず、死んだ者たちがよみがえり、そして生きている私たちがなんと、彼らと一緒に、空中に引き上げられて、天に昇られたイエス・キリストにお会いすることが出来るのです。そして私たちのこの身体も変えられます。死んだ人たちの身体も変えられます。それぞれが復活の身体、栄光の身体に変えられてイエス・キリストにお会いすることが出来るのです。シミもしわもない輝いた栄光の体に変えられて、私たちは、イエス・キリストと永遠に共にいることが出来るのです。私たちは栄光の体に変えられて、素晴らしい永遠の世界に生きることが出来るのです。


                  (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)