柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神と共に生きる」2コリント6章1-2節

先週金曜日に教会バザーが行われました。大勢の方がおいでになりました。10時半からの予定でしたが、10時過ぎには行列が出来ました。私はそれを見て、やがて日曜日の朝もこのような行列が出来るくらいに人が来られたら何と素晴らしいことだろうかと思いました。
聖書に「今は恵みの時、救いの日です」とあるように、神様が私たちに救いを与えて下さっておられることを思わされます。


1,キリストに出会う

この手紙を書いたのはパウロという人でした。彼はクリスチャンではありませんでした。むしろ敵対する人であり、別の言い方をするなら偽善者であったと言えると思います。なぜなら、良いことを行うべき事を知っていながらしなかったのです。見せかけだけの生き方しか出来なかったのです。
おそらくは、ほとんど私たちはパウロと同じではないかと思います。良いことは知っていても良いことを行う力がない、勇気がないということです。そして、自分の心には満足がないと言うことです。パウロは心が満たされていませんでした。空しかったのです。私たちはどうでしょうか。
この世では自分の思うことがかなわず、不平や不満でいっぱいになることがあります。しかし、聖書は私たちに今は恵みの時であるといっています。たとえ不平や不満であっても受け入れることが出来る、それが恵みの時です。パウロにとって恵みの時はいつだったのか。それはキリストにお会いしたときです。クリスチャンを迫害し、怒り心頭に発すとき、なんと復活のキリストにお会いしたのです。それによって、彼の生涯は180度変わりました。
彼の心が変わった理由が二つあります。一つは、彼の罪が赦されたということです。彼はクリスチャンをひどい目に遭わせました。中には死に瀕したような人もあったようです。ですから、彼はクリスチャンになっても初めは受け入れられませんでした。しかし、十字架によって彼は受け入れられたのです。十字架は、罪ゆるしのしるしであり、和解が出来る神の大きな力です。今でも私たちは神によって罪が赦され、和解することが出来るのです。
もう一つのことは、神に愛されるということです。迫害者パウロをもイエス様は愛され赦されました。その愛が彼の心に満ちたとき、空しさはなくなったのです。彼の心はイエス様の愛に絶えず満たされるものとなったのです。それ故あらゆる苦難を乗り越え、苦しみを受けても、それでもキリストの愛に満たされて、救いを語り伝えたのです。


2,恵みの時

今は恵みの時です。チャンスです。救われる、天国に行ける最大のチャンスは今しかありません。死んだら終わりです。取り返しがつきません。死んだらやり直しはきかないのです。今が救われるときです。
私たちは逆境や困難に見舞われるとき、心がなえます。或いは自暴自棄に陥ることがあります。そんな私たちは誰が助けてくれるのでしょうか。救ってくれる人はいるのでしょうか。ただ一人おられます。イエス・キリストです。
キリストは十字架にかけられました。パウロが十字架によって赦されたように、私たちも罪咎が赦されるのです。そればかりではありません。キリストは死の中からよみがえられて私たちに復活のいのちを与えて下さいます。それによって、私たちは困難から立ち上がり、絶望から希望へと変えられるのです。ですから私たちは患難にあっても窮しないのです。なぜなら、神様は働かれ私たちを救いだして下さり、神の愛・平安・喜びで心を満たして下さることが出来るからです。神と共に生きる人生を、あなたも得ることが出来るのです。


                           (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)