柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「永遠の大祭司」ヘブル7章21-28節

キリスト教の中心は、キリストご自身です。私たちはイエス・キリストを救い主と信じています。このヘブル人への手紙はキリストが真の救い主であることを私たちに知らせています。 ヘブル人とはユダヤ人のことです。彼らもイエス・キリストに対しては偏見を持っていました。それを取り除き、救いを得るためにこの手紙が書かれました。


1,神の約束

祭司とありますが、神殿で神に仕え、いけにえを献げて罪の赦し民の祝福を祈るのが祭司の務めでした。その中でも大祭司は年一度、すべての民の贖いをなす大きな働きがありました。それはアロンの子孫レビの家系から選ばれました。
しかし、キリストは人から選ばれた方ではありません。神様の約束に基づいて、私たちすべてのものの仲保者であり、今まさに父なる神の右に座して私たちを執りなして下さっているのです。それは、神様の一方的な約束、ここでは誓いとありますが、すべての人にそしてどのような時代にあってもとこしえの祭司として私たちを執りなして下さる方なのです。


2,神の保証

そして、この事は神様ご自身が保証を与えて下さいます。私たちは物を買ったら1年間の保証があります。壊れたら修理し、だめな場合は新品と交換してくれます。
ここで言われている保証とはそのような物質的この世の保証とは違うのです。永遠のいのちの保証です。天国で新しく生きることの保証をキリストはして下さるのです。
この世の大祭司は死んだら終わりでした。代替わりしました。現在イスラエルには大祭司はいません。神殿もありません。これは神のご計画であり、御心であると思います。なぜなら、キリストが永遠の大祭司となって下さり、私たち自身が神の神殿であり、私たちのうちにあってキリストが罪のとりなしと祝福を与えて下さるのです。ですから、人間の大祭司も人間の仲保者も必要ないのです。
キリストが永遠に存在され、変わることのない祭司の務めを私たちのうちにあってなして下さるのです(v24)。そして私たちを完全に救うことが出来るのです。


3,キリストの贖い

大祭司は、イスラエルの罪を贖うために、満1才の子羊を神に献げました。しかし、その前に自らもきよめの犠牲を献げる必要があったのです。
ところが、キリストにはその必要はありませんでした。なぜなら、自らは26節にあるとおり、悪も汚れもなく、罪人からも離れ、天よりも高くされた方であったからです。まったく罪汚れのない方だったのです。
しかも、動物の犠牲を献げて、罪の赦しを祈られたのではなく、27節終わりにあるように、ご自分を私たちの罪の犠牲として献げられ、たった一度で完成されたのです。それが、キリストの十字架です。私たちの罪はすべて十字架によって赦されます。そして、十字架の上で流されたキリストの血潮によって私たちは洗いきよめていただくことが出来るのです。
そのことは私たちの心の内に、信仰によって成し遂げられるのです。もし、私たちがキリストを救い主として受け入れ、十字架が自分の罪の赦しのためであったと信じるなら、私たちの罪は赦され、神様の豊かな恵み祝福・永遠のいのちに与ることが出来るのです。
そのことは、聖書すべてに記されていることです。旧約聖書でも、律法の書の後の預言書にも諸書にもイエス・キリスト救いが語られているのです。


                      (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)