柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「祝福の神」エペソ1章1~3節

私たちは今、教会に集って神様を礼拝しています。エペソ人への手紙は、「教会とは何か」を私たちに知らせる手紙です。
エペソは地名で、小アジア―今のトルコにあった町です。とりわけアルテミスの大神殿があり、銀細工人や偶像に関係した仕事よって栄えた町とも言えます。その町にパウロは伝道し、救われる人が起こされ、教会が誕生しました。その人たちを励ますために、ローマの獄中からこの手紙を書いたのです。
1,使徒パウロからエペソの聖徒たちへ
この手紙はパウロが書きましたが、彼は自らを使徒と呼んでいます。使徒とは「遣わされた者」という意味ですが、特に「神の御心によるキリスト・イエス使徒パウロ」、と言っています。それは使徒となるには神 の選びがなければなれません。自分がなろうと思ってもなれないのです。確かな神の選びがあり、そしてキリストであるイエス使徒と言っています ガラテヤ 1:1 参照 。
彼はイエスの迫害者でした。しかし、彼は十字架によって罪が赦され、そればかりか使徒とされたことを何よりも喜び、誇りとして自らを献げてきたのです。エペソでは大迫害があったことが使徒 19 章に記されて います。しかし神によって選ばれキリストの使徒であることを感謝して困難に立ち向かいました。
そして彼だけでなく、キリストの救いに与った人たちに対しても、キリスト・ イエスにある忠実な エペソ の聖徒たちへと呼びかけています。しかしある重要な写本にはエペソの記述はないので、エペソだけでなく、その地域のクリスチャンたちにこの手紙は書き写され、回覧されたようです。そして彼らを「聖徒」と呼んでいるのです。これも特別なことです。私たちは「私はクリスチャンです」と言うことができても、自分は聖徒ですとは言いにくいものです。しかしエペソの偶像礼拝で堕落し、不道徳な町の中にあっても、イエス・キリストを信じて、自分はキリストに属する者である、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖 徒である と、彼らは自覚し誇りとしていたのではないでしょうか。そしてペテロはそのように、彼らを見て尊敬していたのではないかと思います。
2,祝福の神
アルテミスの女神は五穀豊穣の偶像であったと言われています。それはこの世のはかない栄華・幸福です。この世のものはやがてしぼみ、朽ち果て、なくなります。
しかし、真の神様は私たちに朽ちず萎むことのない祝福を与えて下さいます。2節で、パウロは、「恵みと平安」がありますようにと祈っています。さらに3節では「天上にあるすべての霊的祝福」と言っています。これらの言葉は、キリスト 教の特別なものであると考えられます。パウロは、父なる神とイエス・キリストと言い、そして霊的とあるのは聖霊によるという意味があります。言わば三位一体の神が、信じる者を豊に祝福して下さるのです。
祝福とは簡単に言うなら、幸せということですが、何が幸せでしょうか。それには2つあります。一つは罪の赦しです。イエス・キリストによってすべての罪過ちが赦される。ことごとく赦されるのです。すべてが完全に赦されているのです。神様は私たちに「もはやあなたの罪を思い出さない」と宣言されるのです。そしてもう一つのことは、神の子とされることです。私たちには神の子となる資格は一つもありませんでした。しかし神様は私たちを愛し赦し、そして神の子として受け入れて下さったのです。信仰とは、それを信じて受け入れることです。それは、 霊的祝福―聖霊によって信じることができる。「神様は私を救い、永遠のいのちを与えて下さったんだ」と、信じて受け入れることです。
おそらくエペソの人たちは、かつては偶像に使え不品行な不道徳な行いをしていたでしょう。ところがイエス・キリストの十字架によって過去の過ちは赦された。それどころか、天国ではすばらしい約束が与えられているのです。キリストによって赦されて、父なる神に受け入れられて、神の子として永遠に生きることができるのです。それを信仰によって得ることができたのです。
それが信者の力となり、エペソにも、小アジ アにも、いろんなところで教会は誕生したのです。もちろんこの柏原にも教会は誕生し、今、私たちは真の神様を礼拝しているのです。感謝しましょう。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)