柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに仕える希望」2コリント5章1-10節

エス様は復活されてから40日間弟子たちに何回かご自分を現されました。それほど復活は大事なことであり、私たちにも大きな力となります。
この手紙を書いたパウロにとってもキリストの復活は彼の転機となる大きなものでした。


1,復活の希望

クリスチャンにとっての最大の希望は何でしょうか。自分自身も甦ると言うことです。イエス・キリストは聖書に約束されたとおり、三日目に甦られました。それと同じように私たちも死の中からよみがえることができるのです。
ここでは、地上の幕屋とありますが、私たちの体のことです。建物でも傷みます。会堂は築36年となり雨漏りもしてきます。修理・塗装が必要です。私たちの肉体も足腰が弱くなったり、思考能力の低下もあります。どこに希望があるのでしょうか。 全能の創造主は私たちに新しい体を与えられることを約束されました。単に復活するだけではなく、新しい体を持って甦ると言うことです。もし古い体を持って甦ってもちっとも嬉しくありません。シミだらけしわだらけの顔で、腰が曲がりよぼよぼして杖をついて歩いているような体を誰も望まないと思います。むしろ、活き活きとして元気はつらつとした若さのみなぎっている体に甦るとするなら、これほど喜ばしいことはありません。いや必ずそうなるのです。それを復活されたイエス様は実証されましたし、パウロも今はうめいているけれども、待ち望んでいると告白しています(2節)。天国で生きるにふさわしい、新しいからだが与えられるのです。


2,聖霊による保証

しかし私たちは今、地上の幕屋この体を持って生きています。パウロは今、私たちはこの体を持ってうめいていると言います。年をとり体の弱さを覚え出てくるのはため息ばかりのものです。しかし、私たちには希望があります。古い幕屋を脱ぎ捨て、天からの住まい、すなわち栄光の体が与えられるそのことを待ち望むことができるのです。それはどんな高級な服を着ることよりも素晴らしいことなのです。死ぬべきものがいのちに飲まれてしまうとパウロは言いましたが、死は跡形もなく消え去り、いのちに満ちあふれるものに私たち自身は変えられるのです。
そしてそれは信仰によって歩む、生活するとパウロは言います。確かに見えるところは弱さがあり、寿命がありますが、それでも新しい天の幕屋を着せられる、その希望を御聖霊は与えて下さいます。私たちの心の罪・不信仰を取り除き、私たちを慰め励まし、信仰から信仰へと進ませて下さるのです。私たちは自分の心に御聖霊をいただかなければなりません。自分の心の中に保証して下さる方があるならこれほど心強いことはないのです。


3,主に喜ばれる者となる

パウロは、念願するのは「主に喜ばれる」ことである、と言います。主とは、十字架にかかり罪を赦し、復活されて私たちに絶対的な永遠の希望を与える主イエス・キリストです。
私たちの生き方は、全く神に頼り切ると言うことです。1節で、人手によらない、神の下さる建物、天にある永遠の家とパウロは言いましたが、100%神の下さるものです。私たちの善行や功徳によって与えられるものではありません。
それを決められるのはキリストご自身です。どうすれば喜ばれるでしょうか。それはキリストに日々従うことです。わたしに従って来たいと思うなら「自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい」と言っておられます。その主が喜んで下さる、これこそが私たちの地上での人生の目的であり、主は必ず裁きの日に報いてくださいます。必ず報いてくださるキリストに日々仕え、希望をいただいて生きようではありあせんか。


                (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)