今日から、アドベント(待降節)になります。クリスマスが近づいているのを感じさせられます。クリスマスを待ち望むときですが、私たちには、もう一つの大切な神様の約束があります。それは、イエス・キリストが再び私たちのところに来て下さることです。
1,今は救いの時である
この手紙はパウロからローマにいるクリスチャンたちに宛てられた手紙です。
今でこそキリスト教の国ですが、パウロの時代は全く異なりました。
当時の神はローマ皇帝でした。ですから皇帝を崇拝しないクリスチャンは無神論者と言われていたのです。ですから信仰の戦いも数々ありました。
その彼らを励ますためにパウロはこの手紙を書いたのです。パウロは「今がどのような時であるか知っています。」と言いました。
この「時」と言う言葉には、大切な意味があります。カイロスという、特定の定まった時を表す言葉が使われています。クリスマスの時といえば、12 月25 日と答えが返ってきます。キリストが誕生されたとき、もっと厳密に言えば神であるキリストがこの世に人となって生まれたとき、と言えます。難しい言葉では、初臨と言っています。
パウロがここで言っているあなたがたは知っている。それは再臨のときです。
イエス・キリストは弟子たちが見ている前で天に昇って行かれました。そして再び来ると約束されたのです。クリスチャンの希望は、キリストが再び来て下さる、ここに望みがあるのです。
2,昼が近づく
今は闇の時代です。先が全く見えません。希望も持てません。ある人は、この世で長生きしたいと思わない。PPK だ。と言っていました。PPK とは、「ピンピンコロリ」の略語だそうです。この世には希望は持てません。ウクライナで長く戦争が続き、パレスチナでも戦争状態にあります。この世には完全な平和はないのです。また気候変動も年々激しくなっているように思われます。日本でも、阪神淡路大震災や東日本大震災が起こり、次は東南海大地震だといわれています。まさに困難な時代の中に私たちは生きているのです。
しかし神様は私たちに生きる希望を与えられます。
キリストが私たちを天の御国に迎え入れて下さるのです。神様は私たちに復活のいのち永遠のいのちを与え、心に生きる希望を与えて下さるのです。闇のようなくらい心でなく、愛と希望に満ちた明るい心を私たちに与えて下さるのです。
3,キリストを着る
そのためにパウロはローマのクリスチャンに命令しました。「主イエス・キリストを着なさい。」それはキリストの性質を自分の身に付けることです。
そのためにはまず、かくれた闇のわざを脱ぎ捨てなければなりません。リビングバイブルでは「どんちゃん騒ぎをしたり、酔っぱらったり、姦淫したり、肉欲にふけったり、争ったり、ねたんだりして時間を浪費してはなりません。」「 あなたがたの行為は正しいと、だれからも認められるよう、何をするにも、りっぱに、誠実にふるまいなさい。」とあります。
キリストは、私たちの罪を赦すために十字架にかかり、罪の代価を支払われました。
十字架を見ながら罪を犯すことができるでしょうか。そのような古き人は脱ぎ捨て、キリストの愛に包まれ、キリストの愛そのものに生きる。パウロは「私はキリストとともに十字架に付けられた。もはや自分が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのである」 ガラテヤ2 :19,20 と宣言したのです。
私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、キリストを着て、キリストによって生かされる、励まされる、力を頂いて、喜びに満たされた生活をさせて頂きましょう。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)