柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「豊かさを求めて」マタイ6章31-33節

人生は100年時代と今言われていますが、もちろん食べたり飲んだり、着たりとお金が必要です。老後には2000万円必要とテレビのニュースでも取り上げられ驚くばかりです。
 はたして聖書ではなんと言っているのか、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」とイエス・キリストは言われました。食べるものや着るものが第一ではないのです。
 なぜ第一でないかというと、それらのものはすべて神様が与えて下さる。心配はない。いやむしろ、心配するなと言われているのです。
 食べるものや着るものは私たちの生活には欠かせませんが、しかし、それらのものは私たちの心を満たすものとはならないのです。
 イエス・キリストは、空の鳥を見よ、と言われました。蒔くことも刈ることもしないが、天の父がこれを養って下さると言われました。また、野のユリが働くことも紡ぐこともしないが、神はこれを装って下さると言われました。まして、私たちは空の鳥や、野の花よりも遙かに優れたものです。ですから、私たちを造られた神様は、私たちによくして下さらないはずはないのです。
 こんな話を聞きました。フランス革命の後で皇帝になったナポレオンに対して異を唱え投獄された、シャルネという政治家がいました。彼は牢獄の中で、人生は偶然であると嘆き、いつ殺されるか不安な毎日を過ごしていました。
 薄暗い牢獄の中で、ふと足下を見ると石の間から小さな草が芽を出していました。彼はそれを踏まないようにと注意し、そして食事の時に出る水をスプーンで水をやったのです。すると小さな花を咲かせるようになり、その草花を愛するようになりました。そのうち彼の心は、自然界にもっと大きな力があり、その力が自分を包んでいるように感じられたのです。
 彼は子どもの頃母親から聞いた信仰を思い出し、その草花の石畳に、「神は愛なり」と書いたのです。
 このことが牢屋の番人からナポレオンの耳に入り、その后ジョセフィーヌが「小さな花を愛する人に悪人はいない。その人を牢屋から出して下さい」と助言をして、シャルネは牢獄から出ることが出来たのです。
 一つの小さな草花を愛した彼は、大きな愛を受ける人に変えられたのです。愛は人を変えます。愛は人を幸せにします。
 イエス・キリストは「憐れみ深いものは幸いです。その人は憐れみを受けるからです」と言われましたが、私たちが求めるのは、食べ物や着るものではなく、神様の愛です。愛が一番なのです。
 神の国とは神の支配です。愛なる神様が私たちの心を新しくし、そして治めて下さるのです。
 今の時代は悪に染まっています。拳銃強奪事件や、いじめ、幼児虐待のニュースを聞きます。それは人間の心が悪に染まっているからです。
 イエス・キリストは、私たちの心を洗いきよめるために、この世に来られました。
 神の義とは、キリストが私たちの身代わりとなって十字架に架かり、罪を赦して下さることです。キリストは死からよみがえられ、信じるものの魂をきよめて救って下さるのです。
 キリストの救いは、私たちを謙遜なものとし、愛と同情に満ちた心のきよい人に造り変えて下さることが出来ます。それが神の義なのです。
 私たちが求めるものは、この世の欲ではなく、神が与えて下さる永遠のいのちと愛です。それが私たちを真に豊かなものとしてくれるのです。


(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)