柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「兄弟へのあいさつ」ピリピ1章1-2節

ピリピの手紙は別名喜びの手紙といわれていますが、パウロはこの手紙をローマの獄中でしかも、殉教を前にして書きました。そのような境遇でなぜ喜びを伝えることが出来たのでしょうか。そのことを共に学んでいきたいと思います。


1,イエス・キリストの福音

手紙は普通挨拶文で始まります。この手紙も一つの特徴があります。それはイエス・キリストと3回出ていることです。パウロはピリピにいるクリスチャンに書いたのですが、喜びの源はイエス・キリストです。
彼は、キリスト・イエスの僕と自らを紹介しています。彼の主人はキリストであり、奴隷として仕えていることを明確にしています。当時の奴隷には人権はありませんでした。ですからパウロも自分の主張を捨て、一切を放棄してキリストに従ったのです。彼の人生はキリストによって変えられました。
なぜなら彼はキリストの十字架の意味が分かったのです。自分の罪のために死んでくださり、そしてよみがえられた。そのことを通して彼は生き方が変わりました。キリストのために生きる。キリストによって生かされる。永遠のいのちが与えられる。天国の希望がある、とはっきり信じて生きることが出来るようになったのです。
そのことはピリピのクリスチャンたちも同じでした。同じ救い主でありキリストを信じ救われ、キリストにある聖徒とされたのです。聖徒とは、この世から分離された者、そしてキリストのものとなった人々です。ですから、この世的な生き方をしない、キリストのいのちに生かされ、天国を目ざす群となったのです。
ですから、その群にはキリストによる監督執事たちがいたのです。監督とは群を見守るものです。そして執事たちは、お世話をする人たちのことです。今日では、教会には牧師が群の監督であり、教会の役員は執事たちということが当てはまると思います。当時ピリピには会堂はありませんでした。しかし、聖徒、監督・執事とキリストの教会は成り立っていたのです。


2,神の恵みと平安を祈る。

この手紙は、ピリピの人たちへ感謝を表すために書かれました。救われたピリピのクリスチャンたちは祈り、物品を持ってパウロを支えました。エパフロデトという人が、ピリピから来てパウロを支え、感謝の手紙を彼に託したのです。彼は死にそうな病に罹りましたが、神は彼を癒やされ、この喜びの手紙が託されたのです。
そして、ピリピのクリスチャンたちに祈ったことは、キリストからの恵みと平安でした。
恵みとは受ける価値がないのに与えられる、それが恵みです。プレゼントです。ピリピの人たちはまさに神様のプレゼントとしてキリストの救いに与ったのです。
平安とは、神との平和です。争いがないだけではなく、赦されたということです。私たちの罪そして咎は、キリストの十字架によって赦されました。それが一番の平安です。パウロの心は獄中にあっても平安に満たされていました。死を恐れませんでした。喜んでいのちを献げ、そしてキリストの愛を最後の最後まで伝えていったのです。
願わくは私たちも、苦しみ困難の中にあっても、神様からの恵みとキリストの平安を心に豊かに与えて頂いてその喜びを現すものとさせていただきたいと思います。


      (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)