柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主に用いられる器」2テモテ2章20-21節

この手紙は題にあるごとく、テモテに宛てて書かれました。テモテはパウロに信頼され、エペソの教会に遣わされました。しかし、様々な困難がありパウロは手紙を送ってテモテを励ましたのです。


1,尊い器となる

テモテは年若く経験も浅い人でした。しかし、パウロにはテモテに対する信仰がありました。それは神様が必ず彼を強くして下さる、素晴らしいものにして下さるという信仰であり、祈りです。
若いクリスチャンも神様は練りきよめて下さり尊い器にして下さることを私たちは期待するものです。
どうすれば尊い器となることが出来るのか。ここに鍵となる言葉が出ています。それは「自分自身をきよめて、…聖められたもの」とあります。私たちが尊い器、尊敬される者となるには聖められなければならないということです。
大きな家には、金や銀の器、木や土の器があると出ています。器にはそれぞれ用途があります。ぞうきんを洗うバケツもあれば食事を盛り付ける高価なお皿もあります。それぞれ用途に従って器があります。
教会でも、様々な人がいますし、それぞれに役割があると思います。しかし、主なる神様に用いられる器とは何か、第一に清い器であることです。
そのために清い器となるには、聖くされなければなりません。そのことに関して問題は、ここで卑しいこと、または不義なることと関連があると理解できると思います。それは目に見えるような悪というよりは、人間の内に働く不信仰や、或いは人の噂話、批判や陰口といったようなものではないかと思います。おそらくテモテはそのことで教会で苦労していた一面があったのではないかと推察できます。彼の内にある弱さや否定的な感情、無気力や無関心といった否定的な感情もいわば不義に含まれると思います。
それらのものが如何にして聖められるのか、それは人の努力や力では出来ません。神の力に拠らなければ聖められないのです。それは、御子イエスの血潮です。キリストの十字架には人の魂、心を聖める力があります。「御子イエスの血、全ての罪よりわれらをきよめる」(1ヨハネ1:7)と御言葉にある通りです。 私たちも御子イエスの血によってきよめられ、尊い器となることが出来るのです。きよめられた者に「わたしの目にはあなたは高価で尊い」(イザヤ43:4)と神様は言われるのです。


2,有益な器

そしてもう一つのことは、主にとって有益な器となることです。神様に用いられることです。器は自分が自分で用いることは出来ません。今日はこのお皿を使おうというのは、器でなく主人です。もちろん汚れた器ではなく、きれいな器を使います。
テモテにとっては、教会のかしらであるイエス様に用いられることを願っていたのではないでしょうか。イエス様にとって有用なまた益となる者になることです。
パウロも同じでした。神様に用いられたいと願っていましたが、かつては真逆のことを行っていたのです。しかし、イエス様にお会いし彼は変えられました。そして害をなす者から有益な者、神様の役に立つ者に変えられたのです。
この手紙を読んで、テモテは励まされたでしょう。そして神様に祈ったことでしょう。彼は変えられ、そしてエペソの教会も伝道に励む教会となっていったのです。
私たちもそうでありたいと思います。私たちもキリストの血潮によってきよめられ、主に用いられる、喜ばれる有益な器に変えて頂きたいと願うものです。




      (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)