柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主なる神の祝福」申命記11章11-15節

2019年新しい年が始まりました。この年何が起こるか予測は出来ませんが、私たちには全てのものを造られ支配される全能の神がおられること、そして主なる神が守られ祝福されることを信じるものでありたいと思います。


1,祝福の神

神様は私たちを祝福される方です。それは15節に出て来ます。「家畜は草を食べ、そして私たちはその家畜を食べて満腹する」とあります。神様は私たちを満ち足らせて下さるお方です。
しかし、そこに私たちは信仰を働かせなければなりません。無条件で豊になるのではないのです。神様は私たちの信仰を見て、私たちを守り祝福して下さる方です。
イスラエルは非常に自然の厳しい所です。それに比べて、エジプトは温暖で、ナイル川があり肥沃な土地でした。あまり苦労せずに、自然の恩恵に与ることが出来たのです。しかし、イスラエルはそうではありません。自然の非常に厳しい困難な所です。ところが聖書には9節に「乳と蜜の流れる地」だとあります。それは豊かさの比喩的な表現でありますが、実際イスラエルは豊になりました。荒野ではあるのですが、開墾され畑が作られ大きな農園があちこちにあります。農作物はほぼ自給されています。野菜も今の季節、豊富です。デイツやオレンジは世界に輸出されています。それほどに豊になったのは、ユダヤ人の力だけではなく、神様の祝福があったから豊になれたのです。不毛の地でも、乳と蜜の流れる地に変えられるのです。
それは私たちでも同じであろうと思います。自分には能力がない、賜物もない、そうかもしれません。しかし、信仰によって私たちは豊かになれることが出来ます。少なくとも、平安や喜び、また確信が与えられて、人と争う必要はなくなります。むしろ人を憐れに思って助けることさえ可能になります。


2,主に従う

それでは如何に神さまは私たちを祝福されるでしょうか。それは13節にあります。主を愛する、主にいのちを尽くして仕える、ということです。私たちは日々の生活で、主を愛しているでしょうか。主に命がけで仕えているでしょうか。
実際的には、自分の敵をも愛すると言うことです。たとえ嫌な相手であっても、受け入れることです。イエス様は「これらの小さい者にやったことはわたしにしたのである」と言われます。私たちは自分から率先して、良いことを行う、これが主を愛することであり、いのちを尽くして主に仕えることです。
そうするなら、ますます主は祝して私たちに神の栄光を現されます。それは14節にでてくる、初めの雨と後の雨のことです。初めの雨は秋の種まきの時です。後の雨は春の収穫前に降る雨です。それは、私たちの救いとリバイバルを意味しています。私たちは救われましたが、私たちは信仰において成長し、救いの実を結ぶことができる、多くの人が救われることとなる、ということです。自分の家族が救われたらどうでしょうか。知っている人が救われるならどうでしょうか。私たちはそのことを祈らずにはおられません。
この年、救われる魂が起こされるように、祝福を与えて下さる神さまに祈りましょう。


       (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)