柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しくなる」2コリント5章17節

1月もいよいよ終わりになり、日が過ぎ去るのが非常に早く感じられます。そのような中に、神様は私たちに素晴らしいものを与えて下さいます。それは私たちが新しく造られるということです。それは、改良とか改善ではありません。まったく別のものとして造られるのです。
福沢諭吉という人がいました。「学問のすゝめ」という本を書いたり、慶應義塾大学を創設したり日本の社会に貢献した人です。素晴らしい人ですが弱点がありました。それはお酒をやめられないことでした。酒を飲んで不始末を犯す。どうにかしてやめられないか悩んでいたそうです。すると一人の友人が、そんな事は簡単なことだ。煙草を吸えば、酒を我慢しようとするイライラが直る。そう言われて煙草を吸ったそうです。しかし煙にむせて苦しい、我慢して吸い続けやっといっぱしの煙草のみになった。ところが急に酒が飲みたくなってあれほどやめていたのに手が出てしまった。するとやめるにやめられず、ついには酒飲みと煙草のみの両刀遣いになりさがってしまった、と魂の苦しみを告白したそうです。
私たちには、自分で変えようと思っても変えることのできない意思の弱さがあります。しかし、神様は私たちを変えるのではない、新しく造ると言っておられるのです。
私は、営業の仕事をされていてヘビースモーカーだった方の証しを聞いたことがあります。その人があるとき、教会に誘われ、礼拝に行くようになった。そして自分がまことの神様から離れて、空しい生き方をしている。新しくなりたい、本当に心に喜びが欲しい、そう祈っている中に、神様が自分のような人間をも愛して下さっているのがわかるようになった。そして洗礼を受けてクリスチャンになりたい、そう思ったそうです。しかし、煙草がやめられない。煙草を吸っていていいのか。自問自答するときがあり、悩んだ。クリスチャンの友人は別に悩まなくてもいい。そのままでいいんだ、といってくれても心に喜びがない、平安がない。そして、お祈りをしたそうです。煙草をやめられますように。祈りながらも営業に出て、仕事が巧くいかないとイライラして煙草を吸う、そんな事がしばらく続いたそうです。ところがある朝、目覚ましの音が鳴ったとき、一つの変化に気がついた、それは煙草に手が伸びない。歯磨きしても、ご飯を食べても手が伸びない。一日経って、二日経っても煙草に手が行かなかったそうです。彼は、神様は奇跡を行われた。そしてついには牧師になった、そう証ししてくれました。 
神様は、私たちをまったく新しく造られます。どんな人でも新しくされるのです。自分がするのではない。イエス・キリストを信じるなら新しくなるのです。
それは心の思いが、まったく変えられることです。価値観が変わるのです。お金が大事だ、お金が一番だと思っていた人が、イエス様の愛がわかり、お金ではない愛が一番だと人生が変わり、貧しい人に自分のお金をあげ、不正にとった物は返す、完全に変えられた人の話が聖書にあります。人生が変わるのです。お金より、愛だ、愛されることの素晴らしさがわかるのです。
おそらくこの礼拝に出てこられている人のほとんどはそうであると思います。忙しい毎日、眠たい日曜日の朝、なんで教会に来るのか。それは神様の愛がわかるからです。自分のような人間でも愛して下さり、命を捨てて下さる。その愛がわかって人生喜びに変えられるのです。
アメイジング・グレースの曲を作ったジョン・ニュートンは奴隷船の船長でした。その彼も、神様の愛がわかったとき、大嵐から救われたとき、いのちの尊さ愛の素晴らしさがわかったのです。神様は私たちの心を新しく造り変えることができます。誰でもキリストにあるなら、新しく造られたものです。古いものは過ぎ去ってすべてが新しくなったのです。

 

           (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)