柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖なる場所」ヨシュア記5章13-15節

今年もはや一ヶ月が過ぎました。新しい年それぞれの目標はどのように進んでいるでしょうか。私たちには主なる神がおられ、必ず神の目的を全うして下さることを私たちは信じるものでありたいと思います。
 神様は荒野を導いたモーセの後に、ヨシュアを用いられました。彼は何よりも信仰の人でした。この箇所にも彼の信仰、そしてことを行う先に彼は勝利を得ることが出来ました。

1,戦いの現場
 モーセの後を引き継いだヨシュアイスラエルの民を率いて約束の地カナンに入ってきました。しかし、そこにはすでに住んでいる者たちがいたのです。しかも主なる神に従いません。当然争いが起こります。特に、彼らが宿営していたエリコには大きな町がありました。町全体が城壁で囲まれた難攻不落の城塞都市であったのです。それはイスラエルに取っては不可能と思われる所でした。
 そこに一人の人が抜き身の剣をもって立ちはだかっていたのです。ヨシュアに取ってそれは敵か味方か、いのちに関わることでした。難攻不落のエリコを前にし、しかも自分の前には抜き身の剣をもった者がいる。ヨシュアにとっては絶体絶命の状態であったと思います。しかし、ピンチの時はチャンスであり、神様の介入されるときです。敵か味方か、ヨシュアが問うたとき、相手は「主の軍の将として来た」と告げたのです。それは彼にとって、またイスラエルにとって、大きな勝利の第一歩でした。
 私たちも目の前に困難の大壁が立ちはだかるとき、自分では不可能だ、無理だと思えるとき、一体誰をあてにするのか。それは、全能なる神、主です。主の軍の将、すなわち全能の神の将軍として、来た。大援軍です。しかし、これは現実のことと言うよりは、信仰の世界です。ヨシュアには信仰があり、彼は主の軍旅の将がはっきりと見えたのです。
 エリシャが召使いと一緒にいたときも敵に囲まれましたが、しかしその外には火の馬火の戦車が取り囲んでいたのです(Ⅱ列王6:17)。私たちも肉眼では見えませんが、神は共におられ私たちに力を与えて、困難に打ち勝たせて下さるのです。

2,聖なる場所
 その主の将軍は彼に何を命じたのでしょうか。エリコを攻略する手立てを教えたのでしょうか。軍隊を整えることを彼に命じたのでしょうか。
 そうではありません。彼に履き物を脱げと命じられたのです。なんでそんな事をするのでしょうか。それは、完全に降伏するという意味です。荒野で靴を脱ぐことは捕虜になるしるしです。靴を脱いだら、戦うことも逃げることも出来ません。絶体絶命です。
 将軍は、ヨシュアに完全に明け渡すことを命じました。彼は武力を持って戦うのではなく、信仰を持って戦う、信仰の戦いであることをはっきり自覚させられたのです。彼はそのようにしました。靴を脱いでまったく明け渡したのです。
 ヨシュアは信仰によって従いました。明け渡しました。そしてそれが、6章に出てくる、エリコの攻略です。武器は一つも取りませんでした。祭司が進み、契約の箱をかいて、民がまわったとき城壁は崩れたのです。イスラエルは勝利したのです。それが現実となったのです。
 私たちも、信仰によって、ヨシュアのように主に明け渡し、そして主なる神様が勝利を与えて下さるものとさせていただきましょう。

 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)