柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神との平和」ホセア6章1-3節

戦争が終わって72年経ちますがいまだその傷跡は癒やされることなく、さらには再び戦争があるのではないかという恐れもあります。本当の平和はどのようにすれば与えられるのでしょうか。
ホセアは北イスラエル王国で活躍した預言者で、ほぼイザヤと同じ年代です。北イスラエル王国は一時非常に栄えましたが、後アッシリアに滅ぼされました。そして、ついには南ユダ王国も滅ぼされるのですが、神様には遠大な計画があります。それはこの地上の王国ではなく、天の王国、神の国の希望を私たちに語っておられるのです。


1,真の悔い改め

「さあ、主に立ち返ろう」とは悔い改めを示す言葉です。北イスラエル王国はこの世の富を求めていました。そして確かに豊にはなったのですが、重大なものを忘れていたのです。それは、主なる神によって真の繁栄が与えられることでした。しかし、彼らはそれをすっかり忘れてしまったのです。元々は、ヨシュア以来、約束の地を占領し、国を建て先住民を追い払い、国力を増強していきましたが、しっかりと確立されたのはダビデのときです。彼は信仰に立つ王でした。そして主なる神様は彼を喜ばれ、彼を祝福され彼に王国を与えられたのです。
しかし、彼は姦淫の罪を犯し、神殿を建てることは赦されませんでした。その息子ソロモンが建てたのですが、彼は高ぶり神から心は離れ、ついには国が分裂してしまうこととなったのです。その原因は、不信仰にあり、不従順が祝福を失う原因となりました。今の時代でも同じです。なぜ、クリスチャンが祝福されないのか、主に従わないからです。
ホセアの時代も同じでした。彼は悔い改めを語りました。しかし、どれほどの人が真剣に聞いたでしょうか。聞かなかったのです。神に立ち返りませんでした。そのためについに国は裂かれ、打ち破られてしまうのです。
クリスチャンも同じです。主に従わなければ祝福を得られませんし、引き裂かれ打たれてしまうのです。
それでは何が必要なのか、真剣な悔い改めである。主に立ち返らなければならない。もし、自分が引き裂かれている、打たれていると感じるなら、私たちは立ち返らなければならないのです。何処に帰るのでしょうか。キリストの下にです。十字架の下に帰らなければ私たちは癒やされません。
イザヤは、いやし主キリストを預言しました。彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた(イザヤ53:4,5)。
私たちは悔い改めなければなりません。そして、キリストの十字架によって癒やされなければならないのです。なぜなら、癒やされなければ、それは死に向かって行く病となるのです。その病を放っておけば必ず死ぬのです。


2,主を知る

もし、真実に悔い改めるなら、自分の罪を認め、それを告白しキリストに求めるならどうなるでしょうか。いやし、包まれるのです。それだけではなく、生き返らせ、立ち上がらせる事がキリストにはお出来になるのです。なぜなら、キリストは死んで三日目によみがえられたからです。そして、彼を信じるならすべてのものは回復します。そして、本当の繁栄が与えられるのです。本当の繁栄とは、いのちの回復のことです。「大雨」とは、種まきのときに降る雨です。土壌が柔らかになって種はしっかりと地面に入り込みます。「後の雨」とは、収穫前に降る雨です。それにより、土の養分は溶け、根が吸い上げ豊かな実りをもたらすのです。雨は聖霊をあらわしています。今はいのちの種が蒔かれているときです。しっかりと地面に、心の内に聖霊によりいのちの種が入り、主の愛と恵みの雨が心に注がれるといのちの実が実ります。リバイバルです。この地上では何回かリバイバルが起こりました。多くの人が悔い改めて、救われたのです。後の雨は必ず降ります。
夜はありますが、必ず夜明けがあります。太陽は必ず昇ります。それと同じように、主の救いの御業が必ずなると信じましょう。主は来られます。夜明けは近いのです。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)