柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに従う者」ヘブル3章4‐14節

この手紙は、1世紀後半に書かれました。ヘブル人とありますがユダヤ人のことです。旧約聖書を知っているユダヤ人も救われたのです。しかし、その当時迫害がひどく、背教するものバックスライドするものもありました。しかし、神様はもう一度主に立ち返るように、この手紙を書き送られたのです。


1,神の家

5節に「神の家」という言葉が出て来ます。神の家は、モーセという言葉があるので、旧約時代のイスラエルを指しているのでしょう。7節以降には詩篇の言葉が引用されています。荒野での40年のイスラエルの姿が語られています。
しかし、これは旧約の過去の話だけではありません。新約の時代にも当てはまり、そして現代にも当てはまることです。神の家とは、教会のことであり、また私たち自身のことでもあるのです。なぜなら、6節の終わりに「私たちが神の家なのです」とあります。1世紀の時代には教会堂はありませんでした。教会の会堂なしに、クリスチャンたちは家や集会所に集まって礼拝していたのです。クリスチャンの集まり‒エクレアが教会なのです。そして、コリントの手紙には、私たち自身が聖霊をうちに宿す神の宮であるとパウロは言っているのです(?コリント3:16)。そして、神の家を治められるのは誰でしょうか。私たちではないのです。キリストが神の御子として神の家を治められるのです。教会を治めるのは人ではありません。キリストであり、もう一人の助け主‒御聖霊なのです。キリストは復活の後天に帰られました。それは私たちを執りなすためです。父なる神様の右にあって私たちを執りなしておられるのです。そして、実際に私たちを治める方は、御聖霊なのです。ですからパウロは、私たちは土の器であるけれども宝を持っている、宝は御聖霊であると証しをしているのです。それは、パウロだけではありません。あの主の弟子たちもペンテコステの時に様変わりしました。聖霊が臨まれたとき、彼らは大胆に十字架を語ったのです。それが、ペンテコステのしるしでした。私たちも今日、御聖霊が働いて下されなければクリスチャンとしては生きていけません。聖霊によらなければ従っては行けないのです。


2,心をかたくなにしない

聖霊は、詩篇の御言葉をもって語られました。それはイスラエルの民が心をかたくなにし、神によって滅ぼされてしまったのです。彼らは神の御怒りを引き起こし、試みて、ついには11節にあるように決して彼らをわたしの安息に入らせない、と怒りを持って誓われたのです。彼らは滅ぼされました。あるものは大地が裂けのみ込まれていき、ある者たちは毒蛇にかまれて滅んでいったのです。私たちはそうであってはならない。同じ過ちを犯してはならないと御聖霊は言われるのです。恐ろしいことです。せっかく奴隷のエジプトを脱出し、荒れ狂う紅海の中を渡っても、神の安息に入らせられなかったら最悪です。3,最初の確信をしっかりと持つ
私たちは救われなければなりません。永遠の滅び、地獄から救われなければならないのです。生ける神から離れないようにとあります。プロテスタント宣教150年経った日本はどうでしょうか。クリスチャンは0.8%と言われています。生ける神から離れないようにしなければならない。罪に惑わされてかたくなにならないようにと言うことです。かたくなになってイスラエルの民は滅んで行ってしまったのです。同じことを繰り返すなと御聖霊は言われているのです。もしそうなら、悔い改めることです。ダビデとペテロは悔い改めて、助かったのです。サウル王とユダは悔い改めないで滅びに入ったのです。
最初の確信とは何か、十字架によって罪が赦されると言うことです。その最初の確信、十字架の罪の赦しを信じるならキリストにあずかる者、すなわち復活のいのちと天の御国の栄光に与る者となれるのです。


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)