柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「イエスに従う」マタイ10章34-39節

今日は振起日礼拝となっています。9月秋を迎えますが、私たちも信仰の励ましをいただいて実りのある生涯を歩ませていただきたいと思います。

1,キリストを第一とする
 イエス様は平和の君と呼ばれました。私たちに真の平安を与えて下さる方です。しかしここでは「剣をもたらすために来た」と言われています。なぜこのようなことを言われたのでしょうか。それはイエス様を救い主と信じるときに反対があるからです。反対がなければそれでよいのですが、今の時代も2000年昔のユダヤにも、イエス様を救い主と信じる事に大きな反対があったのです。ですから、剣をもたらす、戦いがある、傷つけられることがあると言われているのです。しかも家族が敵となる大変なことです。家族の反対が出てくる。それでも信仰を続けることが出来るのでしょうか。
 答えは、出来ます。イエス・キリストを信じ委ねて、自分の十字架を負って従うならば、信仰を続けることが可能です。さらには神様から豊かな祝福が与えられ、そして何よりも永遠のいのち、魂のいのち精神のいのちが与えられるのです。
 今の時代は、精神的不安定が増しているのではないかと思います。国際情勢も緊張していますし、ニュースでもあおり運転のことが報じられています。どうすれば平安が与えられるでしょうか。それはイエス・キリストから「いのち」をいただく以外にはありません。
 信仰はある意味、選択の決断といえるかもしれません。どちらを選ばなければならないのか。私たちは苦しむことがあります。まさに、剣が投ぜられるような心境です。
 37節を見るならば、わたしにふさわしい者という言葉が出て来ます。「家族を選ぶのか、キリストを選ぶのか」、厳しい選択であると思います。それを私たちはどのように決断できるでしょうか。

2,真のいのちが与えられる
 私たちにとって一番大切なものは何でしょうか。命ほど大切なものはありません。39節には「いのち」という言葉が出て来ます。それは真に息をする命の呼吸であり、魂のいのちであり、精神のいのちです。いわば、その人の人格・存在を示す命でもあります。それは人間によって得られるでしょうか。人間が生み出すことのできるものでしょうか。出来ないのです。全能の神以外に命を造り出すことの出来る方は他にはありません。
 イエス・キリストは全能の神です。いのちを与えることの出来る方です。この方による以外には私たちには救いは与えられていません。キリスト教はいのちの宗教です。キリストがいのちを与えて下さる。復活のいのち、「わたしを信じる者は死んでも生きる」と約束して下さいます。
 どうしたら永遠のいのちを得ることができるでしょうか。38節にある、自分の十字架を負ってイエス・キリストに従う、ついて行くことです。それは容易なことではありません。苦しみです。しかし、報いがあります。永遠のいのちが与えられるのです。
 信仰は簡単なことではありませんが、従って行くなら、イエスキリストは信仰のいのち、霊の息吹―「いのち」を私たちに吹きかけ力を与えて、いのちの冠にあずかる者として下さいます(黙2:10)。  

(宣教者:柏原教会 西本耕一牧師)