柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖い生活」ピリピ2章12-18節

ピリピの手紙は喜びで満ちあふれています。パウロはその喜びを牢獄の中で、手紙に書きしるしました。その手紙を通してピリピの人たちも励まされ、喜びに輝いたのです。その秘訣を学ばせていただきましょう。

1,従順であること
 パウロはキリストの謙遜を語りました。それは十字架の死に至るまでの謙遜です。その結果どうだったでしょうか。ピリピの人たちは、従順であったのです。誰に対して従順であったのか。キリストに対してです。キリストは教会のかしらです。いわば、キリストが教会を治めておられるのです。なぜなら教会はキリストによって罪が赦された人たちの集まりだからです。みんな空しい、不安に満ちた生活から救われて、キリストにつながるものとなりました。故に、ピリピの人たちはキリストに対して従順なものとなったのです。
 パウロは世界宣教のためにローマに行かなければなりませんでした。ピリピには、もはやいませんでした。それでもなおさら従順でありなさい。キリストに従いなさい。それが自分の救いの信仰を揺るがないものにしていくと勧めたのです。
 13節にある「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる」とは御聖霊の働きです。今日同じように御聖霊は働かれます。私たちのうちに働かれて、十字架の罪の赦しを私たちのうちに達成させて下さるのです。

2,聖い生活
 14節には、つぶやかず疑わずとありますが、民数記には、エジプトから救い出されたユダヤの民がつぶやき疑い、ついには毒蛇にかまれ滅びていく様が記されていますが、「つぶやき疑い」は神の喜ばれるものではありません。それを取り除くために、キリストは十字架にかけられました。民数記21:9は十字架のことを意味しています(ヨハネ3:14)。
 それはまた、十字架の血潮によって聖められ(15節)、いのちの言葉をしっかりと握り、輝くためです。今の時代は、真っ暗です。希望はこの世にはありません。本当の希望は天国を目ざす以外にはないのです。
 キリストの日と出ていますが、それは神の前に出るときです。それは私たちが死んで神の裁きの前に出るのか、それとも再臨のキリストにお会いするときなのか解りませんが、確実にその日は来るのです。そして、キリストが私たちの永遠を決せられるのです。
 ですから、私たちが信仰を持って神の前に従順に生活し、信仰の故に苦労することや、努力することは全くむだではなく豊に報われる時となるのです。
 パウロはそのことを確信していました。そして彼の心は開かれ天を仰ぎ、あの殉教したステパノのような晴れやかな心、さわやかな気持ちが与えられて牢獄の中ででも喜びに満ちあふれていたのです。
 そして、実際は苦労することが多かったのですが、もちろんピリピの人たちも苦労があったことですが、それは信仰の供え物という言葉に象徴されていますが、パウロもまた惜しむことなくそそぎの供え物となると言っています。それを通して、十字架の意味、そして神様がいのちを捨てて愛して下さるその喜びが満ちあふれるのです。

(宣教者:柏原教会 西本耕一牧師)