柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊の約束」ヨハネ14章15~21節

 イエス様は、十字架にかかる前、最後の晩餐で弟子たちに大切な約束を与えられました。それはもう一人の助け主、聖霊を遣わされる約束でした。

1,もう一人の助け主―御聖霊
弟子たちはイエス様が共におられたとき何度も助けられました。ガリラヤ湖で嵐になり舟が沈みそうになったとき、嵐を静め穏やかになりました。また一晩中、漁をして何も捕れなかったとき網を下ろしなさいと命じられ、おびただしい魚をとることが出来ました。
 このようにして弟子たちはイエス様に助けられ励まされて生活してきたのです。そのイエス様が父のもとに帰られることは弟子たちにとっては驚きであり、ある意味恐ろしいことでもあったと思います。ちょうど幼児がお母さんの姿が見えなくなって泣き叫ぶような様であるのと同じように思います。

 しかしイエス様は弟子たちに、ご自分は父のもとに帰って行くけれども、もう一人の助け主を送っていただくと約束されたのです。そのもう一人の助け主とは御聖霊のことです。しかも、助け主御聖霊は「いつまでも、あなたがたとともにいるようにして下さる」 (16 節)とイエス様は約束されました。

2,聖霊は私たちを分からせて下さる
 私たちはすべてのことを理解出来ません。分からないことも多くあります。たとえば聖書も、一度読んですべてが分かるわけではないのです。むしろ分からないことも多くあり、後で解ることや、新しく発見することも多いのです。たとえば教会の早天祈祷会で、一日一章 ず つ学んでいますが、私自身新たに教えられることが多くあります。まさに聖書は生きた神の言葉であり、読む者の心を日々新たにする力があると言えます。ですからイエス様はあえて御聖霊を「この方は真理の 御霊です」と言われています。御聖霊が私たちを教え、導き、そして神の真理を理解出来るようにして下さるのです。

 たとえば、キリストが私の心の中に居られると言うことが、信仰なしで分かるでしょうか。それは難しいことであると思います。しかし聖霊が働かれるなら、自分の心の中にイエス・キリストがおられ、平安が与えられることが分かるようになるのです。 19 節には、「あと少しで世はわたしを見なくなる。」と言われました。それは十字架を意味しています。そして「あなたがたはわたしを見ます。」とは、復活のキリストに会うことです。事実彼らは、イースターの夜に、復活のキリストにお会いしたのです。そしてよみがえられたことが分かりました。また、パウロも迫害者でしたが、復活のキリストに会い、人生は喜びと感謝、勝利に変えられたのです。彼らだけではありません。それに続くクリスチャンたちも、分かるようになったのです。

20 節にある「その日」とは、聖霊が降られたペンテコステの日を意味 するでしょうし、私たちにも個人的に聖霊が臨まれるとき、それは頭で の理解ではなく心で分かる、知的よりも霊的に分かる、信じられるようになるときがあるのです。その時に、自分はキリス トの愛の中に生かされている。キリストが私の心に居られることが分かるのです。それが聖霊による働きであり、父なる神様は「いつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださる」と約束されたのです。

 ですから、キリスト教はなくなりません。最後の最後まで続きます。「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」とイエス様が約束されたこと マタイ (28:20) は永遠に変わらないのです。

3,聖霊は愛を実践して下さる
 聖霊は助け主です。何を助けて下さるのでしょうか。それはイエス様の戒めを守ることです。イエス様は最後の晩餐で、新しい戒めを与えられました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」 (ヨハネ 13:34) というのがイエス様の新しい戒めなのです。
 
 それは今も有効です。でも、愛し合えないのが現実ではないかと思います。イエス様の弟子たちも自分が一番と議論し、互いに愛し合えませんでした。

 愛することは素晴らしいけど、実行できない、それが私たちの弱さです。神様はご存じです。


(宣教者:西本耕一牧師)