柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「赦されない罪」マタイ12章31-37節

キリスト教の一つの特徴は、罪の赦しにあります。キリストの十字架によって赦されない罪はありません。しかし、一つだけ赦されない罪があります。それは、聖霊に対する罪です。


1,赦されない罪

まず罪とは何かと言うことを知らなければなりません。聖書にある罪は一義的に人間が犯す法律的な犯罪ではありません。むしろ、神に対するものであり、言葉の意味としては「的はずれ」という意味があります。「的を得ていない」と言うことです。しかしこれは神を信ずるということに対しては大いなることです。なぜなら、神に従わず逆らうなら、永遠の滅びに行ってしまうからです。
しかし、人間は不完全であり、アダム以来の罪の性質があります。また無知であるがために犯す罪もあるでしょう。そのような罪は赦されます。イエス・キリストの十字架によって赦されます。32節には、人の子キリストに逆らう罪も赦されるのです。現に、十字架にかけられた一人の強盗は罵っていましたが、後悔い改めて罪が赦され、パラダイスが約束されたのです。 旧約聖書でも、ダビデは姦淫の罪を犯しましたが、その罪を認め、悔い改めて赦されました。弟子のペテロも、三度知らないと嘘をつき逃げましたが、後悔い改めて主の元に立ち返り赦されました。人はどんな罪も冒涜も赦されます。しかし、赦されない罪が一つだけあるのです。聖霊に逆らうことを言う者です。そんな者はこの世であろうと、次に来る世であろうと赦されないとイエス様ははっきりと言われています。なぜ赦されないのでしょうか。
第一に、聖霊は神ご自身です。そして天地創造の初めから働かれる神です。しかし、聖霊は肉眼で見ることはできません。しかし確実に働かれます。イエス様は悪霊につかれて、目も見えず口もきけない人を癒やされました。そのことをはっきりと神の御霊によって(28節)と言われているのです。いやしの御業や悪霊の追い出しはすべて、聖霊による働きです。そしてそれを、イエス様の弟子たち使徒たちが継承したのです。それは真に聖霊の働きでした。ですから、聖霊に逆らうことや、冒涜は聖霊の働きを止め、神のわざを妨害することになるのです。私たちも気をつけなければなりません。


2,御霊に逆らう冒涜

聖霊に逆らうことを言う者」とイエス様は言われました。実は、言葉が聖霊を冒涜するのです。イエス様が癒やされたとき、パリサイ人たちは悪霊どもの頭によって悪霊を追い出したと言いました(24節)。これが聖霊を冒涜する罪であったのです。「口は災いのもと」と言うことわざがありますが、記はその実によって知られるとイエス様は言われました。心に満ちていることが口から出てくるのです。人を汚すのは外側からくるものではありません。悪はみな内側から出て人を汚す(マルコ7:21~23)とイエス様は言われました。
ですから、私たちは口から出る言葉に気をつける必要があります。詩篇141:3にも「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」とあります。たかが悪口と侮ってはいけません。裁きの日には、言い開きをしなければならない、罪に定められるのもあなたのことばによる、とはっきりイエス様は警告されているのです。
私たちは災いをそのもとから断ち切らなければなりません。ダビデもペテロもパウロもみな罪を犯しました。しかし彼らはその罪を認め告白し、悔い改めて赦されたのです。その赦しの信仰をいただき、彼らは罪赦されたことを証して、キリストの救いを語ったのです。そして、それを助けられたのが、聖霊です。なぜなら聖霊は慰め主、助け主であるからです。キリスト召天後の、私たちのうちに生きて働いて下さる主なる神であられるのです。


               (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)