柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの愛を着る」コロサイ3章12~15節


 今日2月14日はバレンタインデーです。愛の贈り物をすることは良いことです。コロサイは小アジア 今のトルコ共和国 エペソの東方にある町で、パウロの同労者エパフラスが伝道したところでパウロは牢獄から手紙を書き励ましました。コロサイ書は「教会の頭」であるキリストのことが語られています。
 そしてここには、クリスチャンとしてなすべき 3 つの命令が出てきます。

1,キリストを着る
 一つの命令は、「着なさい」と言うことです。服を着る。制服によって職業がわかります。それでは私たちがクリスチャンであることが何によってわかるでしょうか。私たちの外に現れる姿です。私たちはどんな姿をして、他の人にどのように見えているのでしょうか。 12 節には 5 つの着物が出てきます。日本では昔、十二単という着物がありましたが、ここでは五つです。「深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容」これはキリストの姿です。ですから一言でいうなら、キリストを着ることです。私たちは自分でキリストを着ることはできません。

 

しかし、神様は 私たちにキリストを着せることができます。あの放蕩息子も帰ってきたとき、父によって最上の着物を着させられました。それと同じように私たちもキリストを着させていただくことができるのです。「あなたがたは神に選ばれた者」とありますが、ヨハネ 15:16 で「あなた方がわたしを選んだのでなく、わたしがあなた方を選んだのである」と言われています。

 

また「聖なる者」とは、自分できよくなった者ではなく、神によってきよめられ、聖別され、神のものとなった意味があります。そして何よりも「神に愛されている者」であることです。それが一番大き いことであり、愛に勝るものはありません(Ⅰコリント 13 章) 。五つの着物を着たならば、愛の帯をしっかりと締めることです。

2,赦し合う

 13 節に「互いに赦し合いなさい」と命令があります。それは神様がクリスチャンに命令されておられることです。そしてこの赦しはクリスチャンにしかわかりません。なぜ赦さなければならないのか、それは「主があなたがたを赦してくださったように」という言葉が続いているからです。

 

主が赦して下さったのがわかる人はクリスチャンです。なぜなら、キリストが十字架に架けられたのは自分の罪のためであった 。そのことがわかるのはクリスチャンしかいません。そして、自分の罪が十字架で赦されたことがわかるなら、その人は相手がたとえどのようであったとしても、自分は主が赦して下さったと信じ、十字架の愛によって相手を赦すことができるからです。ですからパウロはコロサイの人たちにも、キリストの愛、キリストの十字架の赦しを語り勧めているのです。


3,キリストの平和が、心を支配する

 教会は、キリストのからだであると言われています。身体には手があり足があり、それぞれの形・働きは違います。それではどうすれば一つとなることができる のでしょうか。「キリストの平和が心を支配するようにする」ことです。波荒れ狂うガリラヤ湖でイエス様は嵐を沈められました。また、病気で苦しんでいる人に「心やすかれ、汝の罪、赦されたり。」と平安を与えて癒やされました。キリストの平安が私たちを癒やし、私たちを一つにする力があるのです。ですから私たちは全て、キリストの平和を心に持つ、キリストの平安が心を支配するなら、たとえ外が大嵐でも困難を乗り越えていくことができるのです。


 今はまだ、大変なときですが何よりも私たちは、キリストの平安で心が支配され、平安な心から 神への感謝・賛美がわき上がって来ます。たとえ困難な中にあっても主を喜び、誉め讃え、賛美し感謝する者でありたいと思います。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)