柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「私たちの希望」ローマ5章1~5節

 使徒パウロはローマにいるクリスチャンたちにこの手紙を書いて信仰を励ましました。今、私たちは 21 世紀の日本に住んでいますが、ここに書かれている聖書の真理は変わることがありません。
困難な状況にあっても信仰を持ち続ける素晴らしさをパウロは伝えています。
1,義と認められることの素晴らしさ
 ローマ書は、信仰義認の手紙と言われています。 1 節にも、「信仰によって義と認められた」とあります。義と認められたとは、法律用語です。無罪放免です。これほど素晴らしいことはありません。私たちは元々罪を犯し、滅びに向かって行くものでした。しかしイエス・キリストが私たちの代わりに十字架に死んで下さった、そのことを信じて、すべての罪が赦されたのです。ある方は、そんな虫のいい話はないと言っていましたが、 こ れ以外に私たちの赦される方法は他にはないのです。いくら自分で償うといっても、自分のいのちを差し出しても、償いきれな いのが私たちの罪で
す。しかし、キリストが十字架 に死んで下さったことによって、私たちは罪から解放されます。ある方は、罪のために悩み苦しみ、夢にまでうなされました。奥さんも心配していました。しかし、教会でその罪を告白し、十字架で赦されたことを信じました。ぐっすり眠れたそうです。そして、それ以来うなされることはなくなり、罪のゆるしを実感されたそうです。

 それは義と認められ、神との平和が与えられたからです。神との平和は心の平安です。それは絶対的なもの揺るぎのない平安です。それが、信仰の素晴らしさです。パウロは、キリストによって、信仰によって、この恵みに導き入 れられたと言っています。彼もかつては迫害者、人を苦しめる者でした。しかし、キリストの十字架により赦され使徒となり、人々を信仰によって励ます者となったのです。
2,失望に終わらない希望
 パウロは、この希望は失望に終わらない。と断言しています。そんな希望があるでしょうか。そのような希望を持つなら、私たちも失望して終わってしまうことはなくなります。

 その希望とは、 2 節にある「神の栄光にあずかる望み」です。神の栄光にあずかるとは、天国の希望です。復活の望みです。それらも信仰によって与えられるのです。ですから、 信仰の世界には喜びがあるのです。この手紙は紀元 50 年中頃に書かれたと言われますが、その後ローマでネロによる大迫害がありました。 しかしクリスチャンは少なくなるどころか、どんどん増えて いったのです。殉教する人の数より信じる人の数が圧倒的に多くなっ た のです。
 信仰があるなら、たとえ苦難に圧迫されても、耐え得る力が生じ、そのことが練られた品性すなわち、キリストに似たものとされ、復活―よみがえりの希望が生じるのです。信じることがいかに素晴らしいか、歴史ははっきりと証明しています。もしこの希望が本当でなければ、キリス ト教は1世紀で滅んでいたでしょう。しかし、21世紀になっても続き、キリストの愛 、 つまり十字架で罪が赦される、たとえ死んでもよみがえり、永遠のいのちにあずかり、やがて天国で神の栄光を見ることができるのです。
 キリストは復活の後、天に昇り父なる神の右にあって私たちの祈りを取りなして下さっておられますが、その代わりに、もう一人の助け主―御聖霊が私たちの心の中で愛を注ぎだし、溢れるばかりに、大滝の洪水のように与えて下さるのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)