柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「いやされる神」Ⅱ列王記5章8-14節

 今、新型コロナウイルスのことがニュースでも盛んに取り上げられていますが、いたずらに恐れることなく冷静に受けとめて対応したいものです。


1,ナアマンのいやし
 ここでは、アラムの将軍ナアマンのいやしのことが記されてあります。神様の恵み救いはイスラエルだけでなく、その敵対するものでさえも救われることを学ぶことができます。
 彼はイスラエルに敵対するアラムの将軍でした。たびたびイスラエルに侵入して、略奪を行っていたのです。まさにイスラエルの敵でした。しかし神様は、敵味方の区別なく、救われる方でありいやされる神です。イスラエルだから救われる、敵だから滅ぼされる、そうではありません。たとえ敵であっても救い、いやしてくださるのです。なぜなら神様は愛と憐れみに富んだ方であり、敵をも愛される方です。


2,救いの導き
 ナアマンは、アラムの王に信頼され重んじられた人でした。しかし彼には解決のできない悩みがあったのです。ツァラアトという特殊な病に冒されていました。その病に彼は悩み苦しんでいたのです。
 ところがイスラエルの地で略奪した一人の少女が、サマリヤの預言者エリシャなら必ずいやすと言ったのです。ナアマンは藁をもつかむ思いで王に願ったところ、王はたくさんの金銀や晴れ着を着けてサマリヤの王の所に送ったのです。しかし、サマリヤの王はこれを侵略の口実にして攻めてくると受け取ったのです。しかしエリシャは平然として、王にナアマンを送ってくるようにと言ったのです。
 これは神様の栄光が現されるようにと導かれたことです。ツァラアトの病は人の力ではいやされません。神のみできることです。神の栄光は不思議な方法をもって表されます。召使いの少女の言うことを将軍が聞くでしょうか。しかもたくさんの金銀や晴れ着をつけて、王が他国の王の所に送るでしょうか。すべては、神の御手の中にあって行われた出来事であるといえます。おそらく私たちも不可能と思えるような事柄でも、神様が働かれるとき奇跡として受けとめ得ざることが起こるのです。


3,神のいやし
 ナアマンはエリシャの所に行き、エリシャはナアマンにヨルダン川で七回身を洗うことを告げました。しかしナアマンは怒ったのです。あまりにも簡単なことだからです。本当にこんなことでいやされるのか、信じられなかったのです。
 彼は怒って帰ろうとしたとき、彼のしもべたちはナアマンをなだめ、難しいことを言われてもするでしょうと勧め、ナアマンはそれを実行したのです。
 すると、彼は病がいやされ幼子のように清くされたのです。それは、とにかく神に従ったからです。ヨルダン川に身を沈めるのは、きよめの儀式です。彼はそれを行いました。信仰とは、信じて従うことです。実行することです。もし彼が怒って帰れば、いやされることはなかったでしょう。しかし、信じてそれを七回も行ったのです。従順に従う者に神様は恵みを施されます。人にできないことでも神様は行われるのです。
 私たちの罪に染まった汚い心をも、神さまはイエス・キリストの十字架の血をもってきよくしてくださるのです。私たちもその恵みを頂き、すべての罪咎から解放せられ、喜びと感謝をもって生きる者とさせて頂きましょう。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)