柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「死からいのちへ」ローマ6章23節

 私たちはそれぞれちがった個性を持って生きています。私たちは自由に生きる権利がありますが、当然自分自身で責任を負わなくてはなりません。そしてまた、自分の人生の最後があることも考える必要があります。
 今日は、罪からいのちへと言う題で、お話ししようと思います。最初に罪という言葉が出て来ます。この世はまさに罪だらけの世であると思います。罪と言っても犯罪のことではありません。聖書で言うなら、神を認めない、信じない、従わない。それが、罪という言葉で表されています。
 先日、薬物を所持していたミュージシャンが逮捕されたニュースを見ました。しかも学校の教科書に彼の作品が取り入れられていると言うことです。しかしその罪によって人生を台無しにしてしまうことがあるのです。その前にも有名な女優が薬物の使用で逮捕され、色んな方々に迷惑をかけてしまったことが報じられていました。
 それは些細なことと思っても、罪は身を滅ぼしてしまうことになることを知っておかなければならないと思います。
 昨年教会学校のクリスマス会で、DVDを見ました。手違いで、悪魔が出て来るDVDを見ました。子どもたちの感想は、怖いと言うことでした。それはある面よかったと思います。なぜなら、悪の結末は滅びであることを知る必要があるからです。悪いことをしていたら、滅びに行ってしまう。子どもにもそのことを教える必要があると思います。
 何年か前に、地獄の絵本がよく売れたと聞きました。それは子どもにこんな悪いことをしていたら、地獄に行くということを教えるために使ったようです。もちろん、聖書にも地獄のこともかかれていますが、大事なことはその罪からだれが救ってくれるのか。そして、罪を犯さないようにするためにはどうしたら良いのかを知ることです。地獄の絵本には救いは出てきません。しかし、聖書にはどうすれば、罪から救われるのか、どうすれば滅びないで永遠のいのちを与えて頂けるのかがかいてあります。
 そのカギとなるのが、イエス・キリストです。イエス・キリストを信じることによって永遠のいのちが与えられると約束があるのです。
 もちろん私たちの人生は自由です。自分で決めることができます。しかしまた、自分で責任をとらなければならない、その結末もあるのです。
 自分でやることがすべて、よいことであるなら心配はありません。しかし、自分がやったことが悪いことであり、その責任を負わなければならないとするならどうでしょうか。自分の心の不安や苦しみをだれが取り除いてくれることができるでしょうか。それが出来るのは、人間を造られた神でしかありません。
ですから、神を信じないという生き方は、他のだれも責任を持ってくれない。自分で解決をしなければならない。そして、自分のいのちさえも守ることはできない、ということです。
 その逆に、イエス・キリストを信じるなら、イエス・キリストがあなたに永遠のいのちを与えて下さる、ということです。
 キリストの十字架の死は、私たちの罪のためでした。私たちの罪を身代わりに負ってくださり、そして私たちの罪を赦して下さることです。そして、復活は赦された証しです。全く新しく生まれて、新たに生きることができる。キリストはその保証として、私たちに希望を与えて下さる方です。
 救い主イエス・キリストを信じることによって新しい生き方、何よりも、罪から解放されて、永遠のいのちをもって生きる生き方。それが信仰によって与えられるのです。

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)