キリスト教の歴史は一言で言うなら、迫害の歴史であるといえると思います。しかし、たとえ迫害があっても信仰はなくなりません。現に多くの人がキリストを信じ喜びを持って生活しているからです。なぜでしょうか。御聖霊がすべてを明らかにして、導いて下さるからです。三つのことを明らかにされます。
1,罪について
罪とは悪いことです。しかし、人は罪を犯します。なぜなら、自分でそれが悪いという自覚がないからです。人のものを盗んだり、壊したり、また人のいのちを奪ってしまうこともあります。悪を行っている自覚がないのです。人の心の痛みもわかりません。しかし、悪を行って良いでしょうか。必ず滅びが来ます。悪は永遠に存在することはできないのです。そして、それは御聖霊が働かれるときに明らかになります。イエス様が十字架にかけられたのは、人のねたみからでした。しかし、彼らはそれがわかりませんでした。ところが聖霊が働かれたとき、彼らは罪を犯したことがわかったのです。そのことが解り、自分たちが死ぬ、滅びることがわかって、どうしたら救われるのかペテロに尋ねたのです。
2,義について
そして、義について聖霊は明らかにされます。義とは正しいと言うことです。なぜ、罪を犯した人が正しい人になることができるのでしょうか。罪がわかっても、赦されなければ、滅びます。死にます。それは、イエス・キリストの十字架が、罪の赦しの保証となるからです。罪を犯した者は、滅ぼされます。死ななければなりません。それであるなら、全ての人が滅びることになります。それは、神様の御心ではありません。神様の御心は、滅びから救われることです。
どのようにして人は救われるでしょうか。キリストの十字架です。キリストが身代わりとなり、自分のいのちを持って、私たちの罪の代価を払って下さったのです。御聖霊はそのことをわかるようにして下さるのです。そして、御聖霊によって十字架を信じることができるようにして下さるのです。
3,さばきについて
そして、最後のことは、さばきです。最後の審判があるのです。最後には、悪魔もまた、悪魔に従っていた者もすべては裁かれ、火と硫黄の燃えさかる池に投げ込まれ、滅ぼされてしまうのです(黙示21:8)。そのことを聖霊なる神様は、私たちの心に明らかにされます。そして、私たちを永遠の滅びから救うことができるのです。すなわち十字架の意味を悟らせ、信仰を与えて下さいます。この方によらなければ私たちは救われないのです。
(宣教者: 柏原教会牧師 西本耕一)