柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「生かされる命」使徒9章36-43節

今週は、ゴールデンウィークで出かける方も覆いかと思いますが、私たちは神様の恵み祝福に預かることが最も幸いなことであると思います。
この箇所では、死んだ人が生き返った奇跡が記されています。書いた人ルカは医者でした。おそらく冷静な判断を持ってこの記事も書き記したことであると思います。また、これは今日の私たちにとっても大きな神様からのメッセージであると思います。


1,キリストの信仰の現れ

このことは、偶然に起こったとは思われないいくつかのことがわかります。一つは、彼女はクリスチャンであったこと、また、彼女の周りにもクリスチャンがいたことです。神様の御業は、クリスチャンと共に行われます。そして、それが非常に意味のあることであると理解されます。
死人が生き返ることは、聖書にいくつか出て来ます。旧約聖書でも、エリヤがやもめの子どもを生き返らせたり(?列王17:21~22)、その弟子のエリシャも信仰の篤い女の人の子を生き返らせることが出ています(?列王4章)。
新約聖書では、イエス様が一人の少女を生き返らせた記録がマルコ5章に出て来ます。会堂管理者の娘が重篤で父親が必死の思いでイエス様の所に来たのです。ところが家に行く途中で死んだとの知らせがあり、イエス様は「ただ信じていなさい」と言われました。それは一時的な信仰ではなく、継続的に信じ続けなさいという意味です。会堂管理者とその妻は信じ続けました。一緒にいたペテロ・ヤコブヨハネも信じ、ついて行きました。そこで、イエス様は、「タリタ、クミ」と言われて女の子を生き返らせたのです。
ここではペテロが一人、屋上の間に入って祈ったのです。彼の言った言葉は「タビタ。起きなさい」でした。「タリタ、クミ」と「タビタ、クミ」一字違いですが、イエス様と同じ御業が現されたのです。もちろんイエス様は全能の神であり、死んだ者をも生き返らせることができます。なぜペテロはそれが可能であったのでしょうか。彼はイエス様を信じるその信仰によって、その御業が可能となったと言うことです。先のエリヤやエリシャももちろん、神に祈って、その御業が現されたのです。
信仰のあるところに神様はご自身の働きを現されます。私たちも、もし信じるなら、神の栄光を見ることができるのです。それはマルタ・マリヤの姉妹たちと同じです。彼女たちも信じて、ラザロがよみがえる驚くべきことが行われたのです。


2,生き返らされた理由

タビタが生き返らされたのには、目的がありました。それは「多くの人が主を信じる」ことです。ラザロのときもそうでした。イエス様を大勢の人が信じたのです。この場合も、祈ったペテロが崇められたのではなく、祈りに応えて下さった主キリストを信じる人々が起こされたことにあるのです。
現代でも主は生きて働いておられます。直接的に死人がよみがえると言うことだけではなく、不可能と思われる中に神様の御業は現されます。神様は、全ての人が救われることを願っておられるのです(?テモテ2:4)。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)