柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「重荷を負うために」マタイ11章25~30節

 今日は第三アドベント待降節 の礼拝です。救い主イエス・キリストの降誕を待つときです。なぜキリストはこの世に生まれなければならなかったのか。その理由が今日の聖書の中に回答があります。

1,父なる神への感謝
 25 節からはイエス様の祈りの言葉が出てきます。神への感謝の祈りです。何を感謝されたのか。それは神様の救いを幼子たちに現して下さったことです。幼子たちとありますが、イエス様は単に幼児というだけではなく「子どものように素直に神の国を受け入れる者でなければそこに入ることはできない」(マルコ 10:15) と言われました。
 
 それはイエス様が北イスラエルガリラヤ地方で伝道され多くの奇跡をおこなっても人々は信じようとしなかったのです。今日でも同じことです。クリスマスはお祝いしますが、どれほどの人がキリストの救いを求めているでしょうか。また神の国の喜びに与っているでしょうか。しかし、神様の御業は昔も今も変わりません。病の者はいやされ、不自由な者もキリストによって力強く歩むことができるのです。そしてこのことは、賢い人たちや知恵のある人たちに与えられたのではなく、取るに足りない幼子のような、しかし素直な心を持った人たちに現されている、与えられているのです。

ですからイエス様は「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます」とまず、賛美を献げておられるのです。そして私たちもまず、神様に賛美を献げて感謝する者でありたいと思います。私たちは知恵も知識も乏しい者です。幼子のように力もありません。しかし信じることができるのです。そして信仰によって神の御国の中に生きることができるのです。まずこのことを信じて感謝しましょう。

2,キリストが与える安息
 なぜ私たちはイエス・キリストを信じる必要があるのでしょうか。それは真の安息を得なけ ればならないからです。今はまさにストレスの時代です。コロナ禍にあって、仕事がなくなった、では時間ができて自由になっているのか。そうではありません。むしろ不安が募り、この先どうなるか分からない、心配して心がつぶされそうになるのです。最近、自殺者が多いと聞くのも、そのことに原因があるのか
もしれません。
 
 イエス・キリストは今も私たちに「すべて重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。あなた方を休ませます」と言って下さっているのです。ですから私たちはキリストの元に行き、平安を得る、心に休みが必要なのです 。ギターの弦も張りっぱなしでは、良い音は出ません。弦を緩ませ、緊張を解きほぐし演奏のときにしっかりと張るならば良い音が奏でられるのです。私たちもキリストの下に行き、心の緊張を和らげさせていただいて魂に安息をいただくならば、さらに励んでいくことができるのです。

3,キリストと共にくびきを負う
 神の国の実現は、決してこの世が天国になるというものではありません。それでは何が違うのか。信じてどう変わるのか。それは「キリストのくびきを負う」ところにあります。私たちの人生は重荷を負って遠い道を歩くようなものです。しか しキリストを信じることはキリストが共に歩かれる。それだけではなく、くびきを共に負うことです。くびきは二頭立ての枷をはめられ畑を牛が耕すものです。それをイエス様が共に負ってくださるのです。しかも「わたしのくびき」と言われました。主にはイエス様が負ってくださるのです。私たちはイエス様とつながっていればそれでいいのです。

エス様は柔和です。怒ったりされません。私たちを導いてくださり教えてくださるのです。日々の生活の中にもイエス様は重荷を共に負い、私たちまでも負われます。全てイエス様が責任を持ってくださり、成し遂げ てくださるのです。ですから、くびきは重くなく軽いのです。そしてイエス様と共に成し遂げる満足感があります。何よりもたましいに安らぎが与えられます。そのためにイエス様は私たちのところに来てくださったのです。

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)