柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「見えるようになる」ヨハネ9章3-7節

私たちには、この世に於いて様々な困難や試練があります。なぜそんな苦しみを受けないといけないのだろうか。それが、私たちの素朴な疑問ではないでしょうか。


1,栄光が現されるために

しかし、神様は私たちに回答を与えて下さいます。それは、3節にあるように、「神のわざがこの人に現れるため」であるのです。
この人は生まれつき盲目でした。最初から完全に目が見えなかったのです。
人々はこのことを見て、誰かが罪を犯したらこうなったのだと、因果応報を語ったのです。私たちも、何か悪いことをしたからこうなったのだと言うのではないでしょうか。しかし、そこには解決はありません。仕方がないから、あきらめるしかないとうなだれてしまうばかりです。
しかし、イエス・キリストは私たちに、このことは神のわざが現れるためだとはっきりと言われたのです。むげに、苦しみや試練を受けるのではない、その中に神の素晴らしい栄光が現される、なんと幸いなことではないでしょうか。そのことを信じられる人は幸いです。そのことによって、苦難に打ち勝つ力が与えられるのです。


2,信じること

何とイエス様は、地面につばきをして、泥を作られ、その盲人に塗られました。とんでもないことです。ある意味ひどいことです。見ず知らずの他人に、顔に泥を塗る、そのことをイエス様はなされました。おそらく、周りにいた人たちはあっけにとられたことでしょう。
そして、「シロアムの池に行って、洗いなさい」と命令され、彼は素直に従ってそのようにしたのです。すると生まれつき盲目であった人がまったく変えられて見えるようになったのです。それが神の栄光の現れです。見えなかった者が見えるようになる。神の奇跡の業です。
そのような奇跡は聖書には様々出てきます。旧約聖書でも北の大国シリアの将軍ナアマンも、ツァラアトという病に冒され苦しんでいましたが、イスラエル預言者エリシャがヨルダン川で身を七度洗いなさいと言われ(?列王5:10)、最初は反発しましたが、従って行ったとき彼は癒やされたのです。それは信仰によって癒やされました。もちろん盲目の人も信仰によって癒やされたのです。


3,見えるようになる

信仰とは、見えなかったものが見えるようになることです。この盲目の人はイエス様がわかりませんでした。ほかの人も同じです。でも、この奇跡を通して見えるようになったのです。37節でイエス様は見えるようになったと言われました。彼は救い主が見えるようになり、そしてイエス様を信じ礼拝する者となったのです(38節)。
私たちもまた、見える者とさせて頂き、恐れや罪そして死にも打ち勝つものとさせて頂きましょう。


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)