柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架の向こうに」ルカ24章5-7節

イースターおめでとうございます。今年も春とともにイエス・キリストのよみがえりをお喜びする季節となりました。キリストの御降誕をお祝いするクリスマスも素晴らしい時ですが、キリストの復活がなければ、キリスト教は存在しなかったでしょう。それほど重要なことなのです。

クリスマスは毎年12月25日です。しかし、イースターは毎年変わります。旧約聖書過越の祭と関係があるからです。イスラエルの民は、苦しみのエジプトから脱出することができました。それは、主なる神様が彼らの祈りを聞かれ、憐れまれ、指導者モーセを立てて救われたからです。エジプトの王パロは、心かたくなでイスラエルの民を約束の地カナンに帰しませんでした。それ故に、神様は、エジプトのすべての初子を打つという災いを下されました。ただし、羊の血をかもいと門柱につけた家は、災いが過ぎ越したのです。しかし、本当の過越の意味は、イエス・キリストの十字架にあるのです。


1,罪の赦し

聖書によれば、私たちは神の前にみな罪人であるといわれています(ローマ三・23 )。
それは、神の存在を忘れ、神の愛がわからず、神にそむいて生活しているからです。イエス・キリストは終わりの時代は愛が冷えると言われましたが、今がそのような状態にあるのではないでしょうか。それ故に、この世は滅びに向かっているのです。
およそ二千年前に、いえす・キリストは私たちをその滅びから救うためにこの世に来られました。キリストの救いは、十字架による身代わりの死でした。神に対してそむき、罪を犯してきた私たちの行く末は『滅び』でした。しかし、神は私たちを愛するものとして造られたのです。その愛の証しとして、ひとり子イエス・キリストを遣わされ、キリストが身代わりとなって罪の裁きを受け、死んで下さったのです。


2,復活の希望

あなたは、失敗したとき、罪を犯したとき、死にたいと思ったり、生まれ変わりたいと思ったことはないでしょうか。キリストはまさに、そのような弱い心のために、十字架で死んで下さったのです。キリストは私の身代わりになって十字架に死んで下さったのだと信じるなら、その罪は赦されます。キリストの十字架は私のためだと信じることです。そして、キリストがよみがえられたことを信じるなら、私たちの心は新しくなれます。キリストの御霊によって、私たちは生まれ変わることができるのです(ローマ八・9)。
なぜなら、私たちの心のうちにある古い性質、つまり自己中心的でわがままな自我は、キリストと共に十字架につけられ、葬り去られます。そして私たちの内に、復活のキリスト―栄光の主が宿って下さり、私たちは新しい人として生まれ変わることができるのです。
使徒パウロは「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ二・20)と証ししているように、新しく生きることができます。
十字架の向こうには、キリストの復活による、あなたの新しい人生があるのです。

     (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)