柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛の内を歩む」エペソ5章1-5節

最近のニュースでも、幼児虐待やいじめの事件を聞きます。聖書でいうところの愛の冷えた時代の中に私たちは生きています。
 それでは、イエス・キリストを救い主と信じる私たちはどのように生きるのでしょうか。
そのことが、この箇所で語られています。

1,愛のうちを歩む
 一つのことは、愛のうちを歩むことです。歩むとは、単に歩くことではなく、生活することです。1節には愛されている子どもとあります。愛されて育てられる子どもと、そうでない子どもは大きくなってから違いが出てくると思います。人間はだれでも愛されて育てられるべきです。
 しかし、ここで愛されている子どもと言うのは、クリスチャンのことです。クリスチャンは、神様に愛されている。神様の守りが自分に与えられている。そのことを信じる者です。ですから、その信仰があるならば心に平安・安らぎが与えられて、人とは争わない喧嘩しない、穏やかに過ごすことが出来ます。
 そして、その愛は単に穏やかな愛ではありません。むしろ、行動的であり、自分が求める愛ではなく、人を愛する積極的な愛です。その愛はキリストによって現されました。それは2節にある、ご自身を神へのささげ物、供え物としておささげになりました。という言葉に表されています。
 簡単に言えば、十字架にかかって死んで下さったことです。それは、私たちの罪の身代わりとなって、いのちを捨てて下さったことです。もし、十字架がなければ私たちは、神に裁かれ、永遠の滅びに行かなければなりませんでした。しかし、イエス・キリストが身代わりに十字架にかかって下さったことにより、罪が赦され、神の子とされ、愛されて生きる者となったのです。
 ですから、クリスチャンになって何が素晴らしいかと言えば、イエス様が私を愛して下さると言うことです。イエス様が命がけで守って下さる。いや、滅んで当然の者の身代わりとなって命を捨てて下さった。ここに愛があるのです。
 しかも、死の中からよみがえられ、私たちのために父なる神様の右にあって、とりなしの祈りをして下さっておられるのです。

2,神の国を相続する
 神の子は、神の国を相続することが出来ます。但し、避けなければならないことがあります。不品行―性的な罪、汚れた欲望、汚らわしい話、下品な冗談、むさぼり等を避けなければなりません。
 そうした欲望にとらわれていれば、御国の財産を相続できないのです。そればかりか、下手をすれば神様から遠ざかり、滅びに向かって行ってしまうのです。私たちは注意しなければなりません。
 3節に聖徒にふさわしく、とありますが、聖徒とは神様によって聖別された者、イエス・キリストの十字架によって罪赦された聖められた者です。別の言葉で言うならば、愛されている者です。キリストの愛によって愛されている。キリストの愛で心が満たされている。十字架の愛が心に溢れるならば、罪を犯しそうになる心、悪に引っ張られていきそうになる心が強められ、十字架によって悪に打ち勝ち、罪の鎖を断ち切ることが出来るのです。
 この世にあっても、この世の悪に負けない神の子として生かしていただきましょう。


(宣教者:柏原教会 西本耕一牧師)