柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「敵をも愛する」マタイ5章43-48節

今ニュースで、いじめのことや幼児虐待等のことを耳にします。人を傷つけるような事はどのように防ぐことが出来るでしょうか。


1,敵を愛し祈る
 犯罪が起きた場合、中近東の法律には、ハンムラビ法典に見られるような「目には目を、歯には歯を」と言われるような同態復讐法というものがありました。害を受けたなら相手にも同等の害を与えることです。そのことによって、それ以上の害を加えない、というのが当時の裁きでした。しかしそのようにしても事の本質は解決出来るでしょうか。
 人間のいのちは何ものにも代えられません。いのちを失ったら戻すことは出来ないのです。現代でも、殺人犯を死刑にしても被害者の家族の喜びを取り戻すことは出来ません。どのようにすれば、私たちは本当の解決を得ることができるでしょうか。 イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われました。敵を憎むことは私たちの自然な感情であると思います。悪を行った相手を赦すことができない。その感情が強くなり、自分で治めることが出来なければ、おそらくは敵を攻撃する。仕返しをすることになるだろうと思います。そのことが行われるなら、憎しみの連鎖は絶ちきられないどころか、ますますエスカレートするのではないでしょうか。
 イエス様は「祈れ」と言われました。憎しみや悲しみの感情が出てくるとき、私たちには一つの解決方法があります。祈りです。イエス様は祈られました。イエス様もいろんな問題にぶつかりました。イエス様はいつもどうされておられたでしょうか。祈ることをされていました。十字架にかけられる前にも、ゲツセマネの園で祈られたのです。それがイエス様の解決方法でした。
 だれに祈るのか。父なる神様です。すべてのものを造られ支配し、治められる方です。イエス様は祈られました。また、私たちも祈りによって解決が与えられるのです。祈って応えられないことは一つもありません。必ず神様は、回答を与えて下さいます。


2,神の子となる
 神に祈るとは、その神様と交わることです。祈りは一方通行ではありません。私たちは尋ね求め、神様が答えを与えられるそれが祈りです。
 しかも、神様は愛なる方です。どんな人をも愛される方です。そして、私たちの心でさえも愛で満たして下さる方です。
 48節で「あなた方も完全でありなさい」と勧めがあります。私たちだけで、完全になることは出来ません。どうすれば完全になれるでしょうか。
 それはイエス・キリストを心の内に迎えることです。黙示3章20節にはそのことが勧められています。キリスト心に迎え入れると交わりができ、喜びに変えられます。一つの例は、取税人ザアカイが変えられたことです。金の奴隷が金から解放され、自分の財産を分かち与えることのできる人となりました。彼はイエス・キリストを受け入れることによって変えられたのです。
 パウロも同じです。彼も、キリストを受け入れることによって変わりました。人を愛する、迫害を受けても仕返しをしない愛の使徒に変えられたのです。
 私たちも、イエス様を受け入れるなら、イエス様の愛に満たされます。
 アメリカで警官が黒人男性を射殺する事件がありました。法廷で、その被害者の弟は犯人に対して、本当に心からお詫びをするなら赦すとハグをしました。彼は「自分は憎しみの心に自分が支配されたくはない。赦します。」と語っていました。
 私たちも、悪の心に自分が支配されたり、憎しみや怒りで自分が縛られることのないように、イエス様を心に受け入れてイエス様の愛によって愛するものとさせていただきましょう。

 

(宣教者:柏原教会 西本耕一牧師)