柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「赦しの恵み」マタイ6章9-14節

今日の聖書の箇所は、主の祈りと呼ばれるところです。それはイエス様の弟子たちが、私たちにも祈りを教えてくださいと求めたのでこの祈りを教えられました。
この主の祈りは、単に繰り返して祈る祈りというよりも、祈りの手本、祈りの原型とも言えるものです。宗教改革を行ったマルチン・ルターは主の祈りは「殉教者」であると言ったそうです。それは、祈りが形骸化し無味乾燥なものとなっているのではないでしょうか。
私たちはもう一度、神様の大いなる恵みがこの祈りにあることを覚えて、もっと自分のものとし、主の祈りを力の源とさせていただきたいと思います。今回は、「赦しの恵み」と言うことで、赦しということを中心に見ていきたいと思います。
私たちのこの世での悩みの多くは人間関係にあると言われます。人が言ったことを気にしたり、人の行為を受けて心が傷つくこともあります。そのような心をだれが癒し、また強めてくれるでしょうか。それは、主なる神イエス・キリストです。キリストは私たちの癒し主であり、この祈りを教えてくださった方です。


1,神をあがめる

一番最初に出てくるのは、神をあがめる言葉です。「御名があがめられますように」とは、父なる神様が尊ばれますように、また神様にすべての栄光を帰します、という意味です。神様が一番喜ばれることは、神をほめたたえることです。私たちは、礼拝で賛美歌を歌います。賛美歌とは神様をほめたたえる歌ということです。礼拝は、神様を歌でもって、そして祈りによってほめたたえることです。ですから、面白いのはクリスチャンの手紙です。拝啓とか前略とは使いません。主の御名を賛美します。という言葉から始まります。それは、何にもまして神をあがめるという、この主の祈りの基本から来ているのです。
神様をほめたたえることは、私たちに励まし力が与えられます。心がふさぎ沈むときも賛美を歌うことによって上から力が与えられるのです。


2,神の支配

「御国が来ますように」とは、次の「みこころが地でも行われますように」と一緒です。御国とは、神の支配、神様が王となられ支配してくださるという意味です。それは日本がイエス・キリストによって支配されると言うよりも、私たち一人一人の心が神の国になると言うことです。私たちの心が、キリストによって治められる。強い王によって敵から守られ、平和が与えられることです。ですから、私たちの心が神の国となれば、平安が与えられ、またガラテヤ5:22〜23にある素晴らしい霊の実が豊かに実るのです。


3,赦しの恵み

そして最も大切なのが、赦すこと赦されることです。「わたしたちの負いめをお許しください」とありますが、負いめとは元々は負債、つまり借金の意味です。しかし、主の祈りの負債は、借金だけではありません。むしろ、心の中にある負いめ、自分の心の中にある負担となっているもの、負の遺産、それが負いめであるのです。それは、お金によって解決できるものではありませんし、よい行いをしたからと言って心の問題が解決するものではないのです。しかし、神様は私たちの心の負債を赦すことのできる方です。イエス・キリストは、すべて重荷を負って苦労しているものは私のもとに来なさいと招いておられますが、それは、心の重荷を負っている人に語られている言葉です。悩み苦しみ、悲しんでいる人は、イエス・キリストによって慰められるのです。キリストの十字架は、私たちの罪の赦しの原点です。十字架によってすべての罪は赦されるのです。 
主の祈りは、私たちに勝利を与えてくれます。神様によって赦された人は、人を赦すことができるようになるのです。マルチン・ルターは「殉教者」と呼びましたが、私たちは主の祈りによって、ゆるしの恵みがまず自分に与えられ、また人をも赦し、キリストの愛がお互いの間で実践されるものとさせていただきましょう。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)