柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「力を与える主」2テモテ4章9-18節

私たちがこの世で生きていて直面する問題がいくつかあります。その一つは、「老いる」ということです。パウロもまたそのことを実感しました。しかし、彼はそのことに対してくじけることはありませんでした。
むしろ、このことを通してさらに弟子のテモテを励ますものとなったのです。


1,パウロを取り巻く人々

ここにパウロを取り巻く何人かの名前が出て来ます。その一人はデマスです。彼はパウロの同労者であり福音宣教に励んでいました。しかし、彼は去っていってしまいました。その原因は何であったのか。パウロは「今の世を愛し」と言っています。彼はこの世のものに心引かれ、この世を愛して去って言ってしまったのです。それはイエス様も体験されました。荒野の誘惑で、サタンはこの世の栄華を見せて、ひれ伏すならすべてを与えるとウソを言ったのです。イエス様はだまされませんでした。みことばにより勝利されたのです(マタイ4:8~11)。しかし、この世には誘惑は多いのです。
ペテロも弱さがありました。最大の失敗はイエス様を知らないと三度も否んだことです。しかし、イエス様は「あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」と言われました(ルカ22:32)。そして、イエス様は復活の後ペテロに私を愛するかと問われたとき、彼は「あなたがご存じです」と答えたのです(ヨハネ21:15)。
そしてここにもう一人注目すべき人がいます。マルコです。彼は最初パウロバルナバと共に伝道していたのですが、途中で離れ、パウロはそのことで一緒に行かないと言ってあんなに親しかったバルナバと分かれて伝道することになったのです。その原因となったマルコも「彼は私の務めのために役立つ」とパウロが言うほどの人に成長したのです。ですから、人は変わります。信仰によって成長するのです。今は何の役にも立たないだめなものであっても、神様は私たちを養い、力を与えて成長させてくださるのです。


2,委ねる信仰

パウロの生活は非常に困難でした。信仰のために迫害を受け、土牢に閉じ込められ寒い冬を過ごさなければなりませんでした。ですから、ここで上着を持ってきてくださいとテモテに懇願しています。しかし、それと共に「羊皮紙の物」と言っていますが、おそらく旧約聖書でしょう。彼のよりどころは神の御言葉であったのです。神の御言葉は上着以上に彼を守り、慰めを与え、励ますものであったのです。
ですから、彼は非常な苦しみを受けましたが、銅細工人のアレキサンデルは使徒19章でエペソ伝道の時、町中が大騒ぎとなってパウロに反対し、そして彼が捕らえられたときにもこのアレキサンデルはパウロを訴え苦しめただろうと思われます。しかし、彼は「そのしわざに応じて主が報いられます」と主に委ねたのです。「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた」(?ペテロ2:23)キリストの姿があります。それだけではなく、彼を裏切った人たちを赦し、取りなす人でもありました(16節)。


3,パウロの希望

そのような逆境の中にあるパウロでしたが、一つもめげなかったのです。それどころか、彼は「主に御栄えがとこしえにありますように」と神様をほめたたえているのです。じめじめとした暗い牢獄の中に、寒さに震えながら閉じ込められていても彼の心は自由であり、喜びに満ちていたのです。それには二つのことがありました。
第一に神様は彼に力を与えられました。それは「主は、私とともに立ち」と神様が彼の内にあって立ち上がってくださるのです。キリストは生きておられます。信じる私たちの心の内にあって立ち上がってくださるのです。私たちに力を与えてくださるのです。それには、理由があります。目的があるからです。救いのみことばが伝えられることです。私たちを通して神様はみことばを伝えられます。そのために私たちは用いられます。神が用いられる器を神様は放ってはおかれないのです。ですから、私たちもまたみことばを伝える責任があるのです。「救われたのは救わんがために」とよく言われますが、すべての国の人が御言葉を聞いて救われる必要があるのです。獅子の口から救われるような奇跡さえ行われるのです。旧約聖書ではダニエルも獅子の穴から救われました。
もう一つ、それは天国の希望です。神様は私たちをすべての悪の業から助け出し、天の御国に救い入れてくださるのです。それは十字架の恵みです。私たちのすべての罪はキリストの十字架により赦され、天の御国に入れられるのです。頃ほど大きな幸いはありません。獄中のパウロもそのことを望み見、喜びと希望に輝いて生きたのです。


       
         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)