柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神第一の生活」マタイ6章31-33節

人間はただ食べて生きるだけの存在ではありません。心があり、なぜ自分は生きているのか、その答えを見いだすことは大切な問題です。
イエス・キリストは、人間はパンだけで生きているのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きると言われました。人間が人間として、生きるために神の言葉は大切なものです。


1,衣食住の問題

私たちはこの世で生きるためには、食べ物や着る物、住むところが必要です。そして、それを求めて生きています。しかし、私たちが生きるのは、そのためではありません。私たちは食べるために生きているのではなく、生きるために食べているのです。
私たちの生きる中心となるものは、食べることでも、着ることでも、住むことでもないのです。もちろん必要なものですから、それは必ず与えられなければなりません。しかし、私たちはそれらのことに心が囚われてはいけないのです。物質中心主義になると、人間の心、すなわち憐れみや優しさが失われてしまうのです。
エス様は、衣食住のことで心配するのはやめなさいと言われました。必要なものは必ず神様が与えてくださるとはっきり言われています。確かに、イスラエルの民が荒野を旅したとき、神様は天からマナという不思議な食べ物を降らせ、また水が必要なときはモーセが杖で岩をうったとき水が出て、イスラエルの民の渇きをいやしたのです。神様は必ず必要なものを与えてくださるのです。それを第一にして、血眼になって求めるのは、神も聖書も知らない異邦人であるとイエス様は言われました。


2,第一に求めるもの

それでは私たちは何を第一に求めるべきでしょうか。イエス様は、神の国と神の義とをまず第一に求めなさいと言われました。先ほど、私たちは食べるために生きているのではなく、生きるために食べると言いましたが、イエス様はヨハネ 6:27で「 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」と言われました。「パンだけで生きているのではなく神の口から出る一つ一つの言葉による」と言うことと関連があります。永遠のいのちに至る食物とは神のみことば、聖書の言葉です。
なぜなら、万物は神のことばにより造られました。そして、私たちは、神のことばによって慰めと励ましが与えられ、さらには、神のみことばによって将来の希望を得ることができるのです。ですから、身体に食物が必要なように、私たちの魂、心には、聖書のことば神のみことばが必要なのです。神のことばによって、私たちは希望を持って生きることができるのです。
そのために第一必要なのが神の国です。神の支配です。それは、この世の国を神の国にしようというのではありません。むしろ、私たちの心を神の国にする。心の中に私たちの神、救い主であるイエス・キリストをお迎えすることです。イエス・キリストが私たちの王となられるなら、私たちの心はキリストによって治められます。しかも、キリストは私たちのためにいのちを捨てられる方です。あの十字架の上に身代わりとなって死んで下さった方です。それが、神の愛の表れでした。その方が王となって下さる。私たちの心を支配し、あのアダムとエバをだました、サタンから私たちを守って下さるのです。まず、私たちの心を開き、王座にイエス様をお迎えしましょう。
そして、神の義とは神との関係です。義と認められるとは、最後の審判者が、私はお前に罪を認めないと言って下さるのです。罪有りとなるなら、天国には入れません。永遠の滅びに陥ってしまうのです。私たちは救われるためには、イエス・キリストの十字架を心に信じる必要があるのです。十字架は罪を犯した者のさばきの道具です。それにイエス様は私たちの代わりとなって、裁きを受けてくださったのです。罪を赦してくださり、神様は信じるものを義としてくださるのです。そして、もう一度、初めのように、「生めよ、増えよ、地に満てよ!」と私たちを祝福してくださるのです。
必要なものはすべて与えられます。それ以上に、神様との愛の交わりの中に、平安が与えられ、喜びに心は満ちて生きることができるのです。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)