柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会の発展」使徒11章19-26節

この柏原教会が誕生して今年で82年となります。教会は建物のことではなく、信仰を持っている人が集まっているのが教会です。 
聖書を見ると信仰というのは、たとえ困難があっても信じるというのが信仰です。病気の人がいたり、死にかかっている人が信仰によっていやされたり、信仰によっていのちが与えられることが聖書に出て来ます。
このところでは、文化も習慣も違う外国の人にイエス様の救いが伝えられていく様子が伝えられています。


1,信仰の前進

エルサレムで、イエス様が十字架にかけられ殺されてしまいました。普通でしたらそれで終わりとなるのですが、キリスト教の信仰はそれが出発点です。むしろ、困難な中から立ち上がっていくのがキリスト教の信仰です。
ここに出てくる聖書にも、「主の御手が彼らとともにあった」とありますが、力強い神様の手があり、人々は救い主であるイエス様のことを伝えることができたのです。
ステパノは、キリスト教の最初の殉教者でした。彼は自分のいのちを奪う人たちを赦したのです。そして、それどころか、その人たちが神様に裁かれないように、永遠の滅びに行かないようにお祈りをした人です。
私たちもステパノのように自分の敵をも愛し、赦すことができれば素晴らしいと思います。イエス様を信じるなら、誰でもそのようになれますし、そのことが伝えられていったのです。


2,神の恵み

そして何と、アンテオケでイエス様のことが伝えられ、大勢の人が信じて救われたのです。そこには、真の神様を知っている人はいませんでした。その町は、ローマ、アレキサンドリアに次いで三番目に大きな町でした。人口も50万以上あったといわれています。ですから、物であふれ、この世の富や異教の神々を拝む偶像礼拝の盛んなところでした。
かし、そんな町にもイエス様を信じて救われた人たちがエルサレムから逃れてきて、伝道したのです。強い人たちが伝道したのではありません。逃れてきた人たちですから弱いのです。しかし、神の御手が彼らとともにあって、伝道することができました。私たちも同じです。神の御手がともにあるなら私たちもイエス様のことを伝えることができますし、それが教会となるのです。
信仰とは、信じて主イエス・キリストに立ち返ることです。イエス様が私の身代わりとなって、私の罪を背負い死んで下さったと信じるなら、赦されて天国に行けるようになるのです。それで人々は喜びました。自分も、悪いことが赦されて天国に行ける。心に心配することや悩むことがなくなり、喜びに満たされたのです。そして、アンテオケで教会が誕生したのです。 エルサレムの教会は、バルナバという人を使わしました。そして、彼も教会の中に神様の愛と喜びが満ちているのを見て喜び、さらにイエス様にとどまるようにと励ましたのです。信仰とは、いつも心に救い主であるイエス様を信じ続けることです。
バルナバは、聖霊と信仰に満ちた人で、人々を励まし。さらに多くの人がイエス様を信じました。そして、イエス様を信じて救われたパウロを探し、アンテオケで一緒に大勢の人を教えたのです。そこで初めて、クリスチャンと呼ばれたのです。
異邦人から救われクリスチャンとなる、それは素晴らしいことです。イエス様の愛と赦しの恵みが与えられて、キリスト第一の生活となったのです。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)