柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰といやし」ヨハネ4章46-54節

私たちは、ときには病気をすることがあります。それは、私たちの身体が完全ではないからです。ここでは、イエス様のいやしの御業が出て来ます。薬や治療で治らない病気が、信仰によっていやされる奇跡が出て来ます。
私たちにも神様はそのような素晴らしい恵みを与えてくださいます。


1,再びカナに行かれた理由

エス様はそこで最初の奇跡を行われました。水をぶどう酒に変える奇跡です。それは大切な結婚式で、一世一代の晴れのときです。イエス様は、助けられました。しかも、大きな瓶を運ばせたのです。大人一人が十分は入れる大きさです。しかし、僕たちは忠実に運びました。そして、結婚式の世話役のところに持っていったら最上のぶどう酒に変わっていたのです。
ここに一人の男が出て来ます。イエス様が再びカナに来られるそのニュースを聞いた一人の男は、約30キロほど離れたカペナウムに住んでいました。しかし、その道のりも何の苦ともしないでやってきたのです。
ぜでしょうか。それは、死にかかっている息子がいたからです。王室の役人ですから、お金もあったでしょう。よいお医者さんも知っていたでしょう。でも、誰も直すことができなかったのです。しかし、息子のいのちを助けたいその一心でイエス様のところに来たのです。


2,いやされる信仰

必死で、懇願してきた父親にイエス様は何といわれたでしょうか。「しるしと不思議を見ない限りあなたがたは信じない」と冷たくいわれたのです。このようなことがときどきあります。異邦人の女に、「小犬にパンをやるのはよろしくない」といわれたこともあります。それは信仰のテストです。本当にその人の心に信じる気持ちがあるのか、どうかです。
私たちも、なかなか祈りが聞かれないそれは神様の信仰のテストのときだと思わなければなりません。
この男の人はどうしたでしょうか。帰ったでしょうか。帰りませんでした。怒ったでしょうか。怒っていません。彼は、王の役人でしたから、地位も、力も、名誉もありました。社会的に見れば、大工の息子よりもはるかに高い地位にいたのです。 彼はそうではありませんでした。それどころか、「主よ」と呼んでいます。へりくだった心がなければ言えない言葉です。彼はイエス様の前に、謙遜になったのです。そして、さらに来て下さいとお願いしたのです。私たちも、一度言ってもう聞かれないならやめようと思わないことです。それが得られるまで、求めなければなりません。
その男にイエス様は、「帰って行きなさい。もう息子は直っています」といわれました。その男は、さらに一緒に行って下さいとせがんだでしょうか。そうではありません。素直に帰ったのです。ただ帰ったのではありません。それは、イエス様の言葉を信じて従った。実行したのです。信じたら、従うべきです。実行することです。聞いても実行しなかったら何にもならないのです。
この男の人は信じて従って行きました。途中で、僕に会いました。何と、イエス様が言われたとおりに、いやされていたのです。いついやされたのか、聞くと、イエス様が「あなたの息子は直っている」といわれた時刻と同じであったのです。それは、神様の御業です。30キロ離れていても距離は問題ではありません。
私たちも、イエス様のいわれることを聞いて、従い、神様の素晴らしい働きを見るものでありたいと思います。彼もその家族も信じてみんな救われたのです。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)