柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの勝利」ヨハネ16章24‐33節

このところは、イエス様が最後に弟子たちに語られた告別説教といわれるものです。それは、悲しみつらさがありますがそれに勝るところの勝利と希望を約束されました。


1,キリストの名による祈り

エス様は、ご自分の名によって祈ることを弟子たちに言われました。それまでは、イエス様の名によって祈ることはなかったのです(24節)。しかし、これから後は、イエス様の名によって求めることをはっきりと告げられたのです。なぜなら、イエス様ご自身が父なる神と一つであり、この地上においても親密な交わりを持っておられました。どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、イエス様は祈られないときは全くなかったのです。福音書を見ますと、イエス様の祈りの姿を見ることができます。イエス様が最も大切にされたことは、祈りであったことがよくわかります。祈りは、父なる神様との語らいであり、交わりです。イエス様は、祈りを通して、父なる神様から、慰めと励まし力を与えていただいたのです。ですから、私たちがまず恵まれたいと思うなら、祈ることです。祈りは、形ではありません。神様との交わりです。語らいです。すべてをゆだねて、神様に自分の心を知っていただくことです。
そして、イエス様の名によって祈ることは特別な意味があります。
私たちは、神に近づくことができませんでした。また、旧約聖書から見ると近づくことができたのは、年に一回大祭司だけが許されました。しかし、今私たちは、キリストの御名によって神に近づき、交わり、祈ることができるのです。これは大いなる特権です。それが、私たちに与えられているのです。
この特権を用いないはずはありません。弟子たちは、後日用いました。そして、祈りを通して確信が与えられ力が与えられたのです。それが、リバイバルとなりました。ペンテコステの日を迎えたのです。
私たちも同じです。共に集まり、キリストの御名によって祈るなら、神様の大いなる御わざと栄光を拝することができるのです(ヨハネ14:13)。


2,キリストにある平安と勝利

神様を信じれば、困ることはなくなるのかというとそうではないとイエス様は明確に弟子たちに告げられました。「世にあっては艱難があります」(33節)と言われています。事実、イエス様がゲツセマネの園で捕らえられたとき、弟子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。ペテロも最後までついて行ったのですが、大祭司の庭で「私は知らない」と三度まで嘘をついて、否定してしまいました。それが、弟子たちの姿でした。しかし、それをイエス様は裏切りとはとっておられなかったのです。
32節を見ればそのことが明確に語られています。「わたしをひとり残す時が来ます」と言われました。しかも、全く腹を立ててはおられません。ガッカリもしておられません。なぜでしょうか。答えは明白です。「父がわたしといっしょにおられるからです」と答えられました。イエス様の信仰の秘訣は、父なる神様が共におられるということです。ヨハネ福音書は、父と子の密接な関係が記されています。続く17章ははじめから終わりまで、イエス様の父なる神様の祈りです。それほどに、御父と御子は密接な交わりを持っておられたのです。そしてそのことが、私たちにも祈りによってできることを約束されました。
ですから、私たちも困難に遭うなら祈るべきです。祈りによって私たちは、平安を得ることができます。「わたしにあって平安を持つためです」とその理由をイエス様は語られました。イエス様は、父なる神様と共におられて平安でした。さらには、勝利の約束をされています。それは、罪に対し、死に対する勝利の約束です。
エス様は復活により勝利され、弟子たちも復活の主を見て喜びました。私たちにもその約束が与えられています。それを信じて、勇敢に進んでまいりましょう。


(宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)