柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の訓練」ヘブル12章5-7節

二年前の三月、日本は未曾有の災害に見舞われました。今もなお苦しみの中にいる人がおられます。私たちは、この世の苦しみをどのように受け止められるのでしょうか。
このヘブル書は、迫害の最中にいるクリスチャンを励ますために書かれたと言われています。苦しみには目的があります。


1,神の愛を知る

神様は人を、愛の対象として、人格を持つものとして創造されました。ですから、人間は苦しみに遭うと悩みます。人間は一人で生きていけるものではありません。必ず助けが必要です。究極的には私たちには救い主が必要なのです。
イエス・キリストは、神のひとり子として、この世に来られました。イエス様はいつも父なる神様と交わっておられました。朝早く起きて、祈られ、夜遅く山に退いて祈られました。実は、祈りが父なる神様との交わりであり、そこで慰めや力が与えられて、大きな働きをなされたのです。
私たちは、ものが与えられると喜びます。また、苦しみの中にも励ましが与えられると安心します。しかし、死は全てのものを奪い去り、私たちを悲しみのどん底に突き落とします。しかし、神様はそんな弱い私たちにも希望を与えて下さいます。そして、試練を通して、神様は私たちを愛されていることを教えて下さるのです。
父なる神様は、罪人の私たちを赦すために、御子イエス・キリストを十字架にかけられました。6節で言われていることは、イエス様においても例外ではありませんでした。あれほど、親しく交わりをされていたイエス様は父なる神様からも見捨てられ、十字架にかけられました。しかし、それは私たちに対する神様の愛の証しでした。神様は「愛する者を懲らしめ」(6節)とありますが、例外なくそのようにされるのです。イエス様もむち打たれ、そして十字架にかけられて殺されたのです。しかも、イエス様の場合はご自分が悪いことをされたのではなく、私たちの罪を負うため、私たちの罪の代価を払うためのものだったのです。そして、その十字架によって私たちは赦されたのです。ここに神の絶対的な愛があるのです。


2,忍耐の訓練

苦しみに遭うことは無駄なことではありません。苦しみは別の言葉で言えば試練とも言えると思います。「艱難、汝を玉にする」ということわざもありますが、私たちは苦しみに遭うことによって強くなっていけるのです。
しかも、神様は私たちに耐えられないような試練を与える方ではありません。試練と共に私たちにのがれる道をも備えて下さる方です。私たちを救って下さるお方なのです。
信仰の父と言われたアブラハムにも試練が与えられました。その最大の試練は、ひとり子イサクを献げよということでした。彼は、神様の命令に従いました。それは、機械的に従ったのではありませんでした。そのことは11章17から19節に出ていますが、彼は信仰によってイサクを献げたのです。大変大きな試練でした。しかし、それに勝る信仰が彼にあったのです。その信仰とは、復活の信仰でした。彼は自分の弱さに打ち勝ちました。信仰によって死を乗り越えることができたのです。復活の信仰は私たちを強くします。弱さ、逆境に立ち向かっていく力を与えます。私たちも、同じ信仰をいただいて、困難を乗り越えていく者とさせていただきましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)