柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「聖霊の働き」ヨハネ15章18-27節

エス様は、十字架にかけられる前最後の晩餐の席で、弟子たちに大切なことを語られました。その一つは、助け主聖霊が与えられることです。


1,クリスチャンは世から憎まれる

神様を信じるなら、災いはないかというとそんなことはありません。かえって、災いを被ることがあります。それでも、私たちには神の助けと守りがあることがわかります。
私たちが生きているこの世は、私たちを憎むものです。理由はわかりません。「彼らは理由なしにわたしを憎んだ」(25節)とイエス様が言われたとおりです。毎日と言っていいほど、殺人事件が起こっています。正当な殺人はあり得ません。全く理不尽であり、被害に遭った方はなぜこうなるのかただ苦しむだけです。
しかし、イエス様は、私たちに知っておきなさいと、言われました。第一のことは、イエス様がまず憎まれたことです。病の人を癒やされ、目の見えない人たちは見えるようになり、嵐をも静められる奇跡を行いましたが、十字架にかけられたのです。その理由は何だったでしょうか。パリサイ人律法学者祭司長老といった立派な人々が、大工の子として生まれ育ったイエス・キリストを憎んだのです。それはまさに、理由のない憎しみ、ただ自分が嫌いだといった感情によって、無実の人を十字架につけて殺してしまったのです。イエス様は、弟子たちに、そのことを知っておきなさいと言われました。後、彼らはこのことを思い出し、力が与えられたのです。
そして、第二の理由は、世のものから聖別され、キリストのものとなったとの理由です(19節)。さらに第三の理由は、キリストの弟子であるとの理由です。(20節)キリストの弟子であるから、キリストが憎まれるとその弟子までも憎まれるのです。
キリストの弟子を迫害したのは、ユダヤ人でした。彼らは聖書を読み、神に選ばれたものだと言いながら、神の律法がわからなかったのです。神の律法とは、十戒のことですが要約すると、神を愛し、人を愛することでした。しかし、彼らにはそのことが大きくかけていたのです。もし、彼らに神の愛があったら無実の人を十字架にかけて殺すようなことがあったでしょうか。そうではなかったのです。彼らには愛がありませんでした。しかも、彼らははっきりとイエス・キリストを見て、また父なる神様を見て、その上で憎んだ(24節)とイエス様は言われました。その罪については弁解の余地はないのです(22節)。


2,助け主聖霊

しかし、イエス様は、そのような困難にある私たちに、助け主聖霊を遣わされると約束されたのです(26節)。聖霊は、迫害に遭う私たちを慰められます。そして、様々な困難に打ち勝つ力をも与えてくださる方です。今日でも、困難はあります。先日、国際機が対策機構のレポートを見ましたが、多くの人たちが餓死して死んで行っているのです。そうした中に、助けの手も多く延べられています。愛があるのです。神様は愛してくださり、私たちをも用いて愛の手援助を差しのばしてくださるのです。
経済的な援助や、物質的な援助も大切ですが、何よりも命の援助、救いが第一です。イエス様の弟子たちが第一にしたことは何だったでしょうか。復活のイエス・キリストを宣べ伝えたのです。彼らは、復活のイエス様を語りました。そして、大勢の人が救われたのです。それは今も継続して行われています。
ミャンマーという国があります。仏教国です。軍事政権下にあります。決して豊かではありません。それでも、クリスチャンが人口の4〜5%いるのです。日本は1%以下です。そうした困難な状況の中にも、神様は働かれ、豊かな恵みを与えてくださるのです。
私たちには、助け主聖霊が共におられます。私たちもまた、大胆に死んでよみがえったイエス様を伝え、永遠の滅びから救われ、共に神様を喜ぶものとさせていただきましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)