柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「満ちあふれる喜び」ヨハネ16章20-24節

エス様は、十字架にかけられる前に最後の晩餐のとき、弟子たちに大切なことを語られました。それは、すばらしい喜びがイエス・キリストによって与えられることです。


1,悲しみが喜びに変えられる

エス様の弟子たちは最後の晩餐のとき、彼らは互いに誰がえらいのか誰が最後までイエス様について行くか議論していました。なぜでしょうか。魂の目が開かれていなかったのです。
キリスト教の信仰のポイントは霊の目が開かれているか否かにあるといえます。弟子たちも、イエス様によばれ、従い、ともにいましたが、まだ霊の目は開かれていなかったのです。神の御心がわかりませんでした。ですから、彼らは互いに議論し、確信が得られなかったのです。しかし、そういう彼らに、イエス様は一つの希望を与えられました。それは、悲しみが喜びに変わるということです。
それはまさに、人が生まれる喜びのようなものであるとイエス様はいわれました。確かに産みの苦しみはありますが、生まれた喜びはそれよりも遙かに大きいのです。そんなすばらしい喜びが与えられるとイエス様は弟子たちに約束されたのです。


2,復活の喜び

言われたことを聞くことと、自分がこの目で見て体験するのは全くといって違うものだと思います。
エス様の弟子たちは、何度もイエス様から復活のことを聞いていました。霊の目は開かれていなかったでしょうし、何よりも復活がどのようなものか見当もつかなかったことであると思います。事実、彼らは自分の力では何もできませんでした。イエス様が捕らえられ十字架にかけられると、逃げてしまったのです。そして、彼らは部屋の戸を閉めて隠れていました。それが現実でした。
しかし、そんな彼らが変えられる、驚くべき奇跡が起こりました。復活です。彼らは聞いていましたが、実感がありませんでした。ところが、イエス様が復活され、その夕方、弟子たちが戸を締めて、内側から鍵をかけている部屋にイエス様は現れたのです。弟子たちは驚きました。しかし、驚き以上のものがあったのです。喜びです。彼らはイエス様を見て喜んだと聖書に出てきます(ヨハネ20:20)。「驚いた」ではなく「喜んだ」とあるのです。出産の苦痛にまさる生まれる喜びが、まさに、そのところに現されたのです。
弟子たちは復活の主に出会い、全く新しい力と喜びが与えられ、イエス様こそ真に神の子であることを深く体験したのです。そこから、彼らの新しい歩みが始まりました。力強い信仰の歩みが始まったのです。復活には力があります。イエス・キリストのために喜んで苦しみ、御名のゆえに屈辱さえも甘んじて受ける。それを名誉だとするものに変えられていくのです。


,宣教の喜び

復活の喜びを奪い去るものはいないとイエス様は言われました。しかもその喜びは、充ち満ちたものとなると約束されたのです。それは、伝道の喜びです。人が救われるそれはこの上もなく大きな喜びです。「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こる」(ルカ15:10)と言われたとおりです。それは今もなお起こっているのです。キリスト教の歴史は迫害の歴史ですが、その中に、大いなる神の栄光が現されました。迫害に勝るところの、愛と恵みが現されたのです。ですから、そのような中で多くの人が復活されたイエス・キリストを信じて救われたのです。
私たちもまた、自分が滅びから救われ、神の子とされ、愛されていることを感謝を持って証ししましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)