柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「復活の喜び」ヨハネ20章19-23節

皆さんイースターおめでとうございます。今日は、イエス様が死の中からよみがえられた、復活を心から喜ぶ日です。キリスト教の最大の特徴は、死の中からよみがえる復活のことです。おそらくそのことを大々的に話している宗教は他にないと思います。世界の四聖といわれるイエス・キリスト、釈迦、孔子ソクラテスでよみがえったのはイエス・キリストのみです。
たとえ、素晴らしい話をしても死んでしまっては意味がありません。イエス・キリストは語られただけでなく、よみがえられた、そこに大きな意味があるのです。


1,喜びが与えられる

イエス・キリストがよみがえられた朝、三人の女性が墓に行きましたが、空っぽでした。そして、ペテロも見に言ったのですが、そこには亜麻布だけが置いてありました。イエス様の姿はどこにもありませんでした。
そして弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、部屋に鍵をかけ閉じこもっていたのです。その中にイエス様は「平安があなたがたにあるように」と言われ、入ってこられたのです。そして、手と脇腹を見せられました。弟子たちは、それを見て喜びました。
なぜでしょうか。まさしく、十字架に付けられ殺されたイエス様がよみがえられたからです。死んだものが生き返る、復活は私たちに喜びを与えます。おそらく私たちも、最愛の人が死ぬのは大きな悲しみであると思います。しかし、その逆に、愛する人が再び生き返るならそれは大きな喜びとなります。
ベタニヤ村のラザロはイエス様により蘇生しました。それにより、多くの人がイエス様を信じたのです。愛する人が生き返ることは素晴らしいことです。喜びです。


2,罪の赦しが喜びとなる

そして、この復活には大切なメッセージがあります。それは、23節にある罪の赦しです。本当の喜びはうわべだけのものではありません。心の底から喜べる喜びが与えられるのです。
エス様はなぜ弟子たちに、手と足の傷跡を見せられたのでしょうか。もちろん正真正銘、それが自分であることを証しするためでした。しかし、もう一つのことは、なぜイエス・キリストは十字架にかけられたのかと言うことです。それが、実は私たちの罪を赦すためにキリストは十字架にかかって下さったのです。
弟子たちは最後の晩餐の時、最後までついて行くと誓いましたが、彼らはできませんでした。ペテロも大祭司の庭まではついていきましたが、そこで三回もイエス様を知らないとウソをついてしまいました。それは彼の明白な罪でした。彼はそのことがわかったとき、表に出て行って激しく泣いたとあります。 心の罪は、私たちを悲しみに追いやり、不安に陥れます。まさに、戸を閉めて閉じこもっていた弟子たちは、罪に心は苦しんでいた状態でした。そんな弟子たちに、イエス様は両手両足の釘後を見せられたのです。それは、彼らの罪を赦すためでした。その罪の赦しを確信したとき、弟子たちはイエス様を見て喜んだのです。罪が赦されることは大きな喜びです。


3,イエス様が遣わされる

エス様は罪の赦しのために父なる神様から遣わされました。そして今度はイエス様が弟子たちに遣わすと言われたのです。それは、赦された人が一番、罪の赦しのすばらしさうれしさがよくわかるからです。ペテロも自分が三回ウソをついたことをイエス様の十字架によって赦され、大胆にそのことを語る人になりました。
しかもイエス様は私たちに聖霊を与えて下さいます。聖霊は助け主慰め主です。私たちの挫けそうな心を支え、励まして下さるお方です。私たちは、この方の助けを頂いて、イエス様の救い、罪の赦しを喜びと感謝をもって証しさせていただきましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)