柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの契約」ルカ22章19-20節

今日から受難週になります。イエス様は、エルサレムに人々の歓迎を受けて入場されましたが、そのエルサレムで十字架にかけられたのです。
それは、私たちの救いのためなのです。


1,新しい契約

エス様は、過越の祭りを弟子たちと共に祝われました。過越の祭りとは、ユダヤ人がエジプトで奴隷となり、モーセを通して解放されエジプトを脱出するときに、王の子どもから奴隷の子ども、家畜に至るまで打たれたのです。しかし、イスラエルの人々には災いは下されませんでした。子羊の血をとって柱と鴨居に塗り、災いを下す御使いは通り過ぎて行ったのです。今私たちは、そのような行事はしませんが、イエス・キリストが十字架で流された血潮は、私たちに災いおも打ち勝つ力を与えるものです。
新しい契約とイエス様は言われましたが、古い契約とは旧約聖書に出てくる、十戒のことです。シナイ山で、神様はモーセに現れ、石の板に刻まれて渡されました。しかし、残念ながら人はその十戒を守ることができなかったのです。
十戒とは、十の戒め、守るべきことですが、それを要約するなら、二つのことです。一つは神を愛することです。そしてもう一つは人を愛することです。そのことを、イスラエルの民は実行できなかったのです。私たちはどうでしょうか。
それで、神様は新しい契約を与えられました。新しい契約とは何でしょうか。それは、神様ご自身が、私たちを愛して下さり、神様が自ら私たちの罪を赦して下さると言うことです。
実はこのことは、旧約聖書で預言されていました。エレミヤがそのことを語ったのです。エレミヤ31:31〜34に記されています。それは、神様が石の板に十戒を書かれるのではなく、私たちの心の肉碑に刻み込んで下さり、神を忘れることがない、そして、私たちは神の民となり、神は私たちの神となって下さる。そして、すべての罪咎を完全に赦して下さるという約束だったのです。
その約束が、十字架の上で実現したのです。


2,キリストの体と血

エス様は、最後の晩餐で、パンを割き、杯をともに飲まれました。それは、十字架を現すものです。「わたしを覚えてこれを行いなさい。」と言われていますが、私たちは毎月第一主日に行っています。それは、キリストの十字架による罪の赦しと愛を覚えるものであるのです。私たちの心の肉碑に刻み込むのです。
私たちはそれにより、罪が赦され、罪に打ち勝ち平安と喜びを得るのです。罪の赦しは、キリスト教以外にありません。私たちの心の罪を洗い流し、きよめるのはキリストの十字架以外にないのです。
そして、イエス・キリストは自らを「いのちのパン」(ヨハネ6:35)と言われました。肉体のパンではなく、私たちの心を養い、魂を強めるところの「いのちのパン」なのです。私たちがイエス様を信じるとき、心は強められ、慰めと励ましをいただいて、困難を乗り越え、神様は私たちに勝利を与えて下さいます。
涙の預言者と言われたエレミヤは、バビロン捕囚という苦難の中にも、神の国が実現されることを待ち望み、希望を持った人です。
私たちもまた、イエス・キリストの十字架によって苦難に打ち勝ち、そしてキリストの復活により喜びと感謝、希望に溢れるものとさせて頂きましょう。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)