柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「救いの道」マルコ1章1-5節

この書はマルコによって書かれました。それでマルコの福音書と呼ばれていますが、よく見るなら1節に「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」とあります。書かれている内容は、イエス・キリストによる救いのことが記されているのです。クリスマスで最も大切なことはこのキリストの救いを受けることです。


1,救いの道を整える

今から約2000年前のユダヤの国はどうだったのか。戦争はなく、いわゆるローマの平和がありましたが希望はありませんでした。なぜなら自分たちの国がローマに支配され喜びがなかったのです。おそらく多くのユダヤ人はローマの支配が取り除かれ、自分たちが自由に生活できることを願っていただろうと思われます。そして自分たちを解放して、ユダヤの国を建てる救い主を待ち望んでいたのです。
そのような中に、バプテスマのヨハネが現れました。彼は最後の預言者でした。そのことは旧約聖書マラキ書3:1に記されてあります。彼は救い主が来られるのを道備えする人でした。道というのは大変重要です。物や人を運ぶのになくてはならないものです。いわばバプテスマのヨハネは救い主が来られるのを準備した人です。それでは、バプテスマのヨハネはどのように準備をしたのでしょうか。


2,罪の赦しと悔い改め

彼が勧めたのは、罪の赦しと悔い改めでした(4節)。罪が赦されるとは何か。聖書にある罪とは、人に対する罪と言うよりむしろ神に対する罪です。神とは誰か。人間が作った神ではありません。それは偶像です。聖書が言うところの神は、天地万物を造られた創造主なる神です。全能の神です。「わたし以外のものを神としてはならない。偶像を刻んでこれを拝んではならない。」と言われたのに、人は偶像を作り拝み、はたまた神に従わない者となったのです。神様は人間に十戒を与えられました。十戒を要約するなら、神を愛し人を愛することです。しかし、そのようにはしませんでしたし、出来なかったのです。実に人間は神様が与えられた戒めを破ってきたのです。それが罪であると言うことです。
それ故に、罪を悔い改めよと実は旧約聖書の時代から言われていたことでした。それが出来なかった。それ故に神様は、救い主キリストを与えると約束されたのです。
その先駆けとして、バプテスマのヨハネが現れ、罪の赦しの悔い改めを説き、彼の言葉を聞いて、全国から人々は集まり、罪を告白して、彼からバプテスマを受けました。しかし、そのバプテスマは完全な救いではなかったのです。ヨハネは救い主ではありません。確かに先駆けとなって来たものですが、彼には罪の赦しの力はなかったのです。
罪の赦しは1節にある通り、イエス・キリストの福音、イエス・キリストが罪を赦し立ち直らせて下さるところに喜びがあるのです。生きる希望がわき上がってくるのです。そしてそれがクリスマスなのです。ごちそうを食べることも、プレゼントをもらうことも嬉しいのですが、何よりも自分の罪が赦されることそして神様が愛して下さる、そのことを自分の心の中に信じるものとさせていただきましょう。


                         (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)