柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「罪人を救うキリスト」Ⅰテモテ1章15節

 

この手紙はパウロという人が書いた手紙です。彼は弟子のテモテに信仰の励まし、教訓を手紙に書いて送りました。そのことが聖書に掲載されているのです。

1,罪とは何か
 ここでは彼の個人的なことが記されています。彼は自分のことを「罪人のかしら」と言っています。まず私たちは聖書が言っている罪とは何かを理解する必要があります。
 聖書が言っている罪とは、この世の犯罪のことではありません。むしろ、聖書が言っている罪とは神様との関係です。聖書が言っている神様は、八百万神ではありません。天地創造の造り主である神様です。絶対的な存在です。
 パウロの罪とは、その絶対者である神に従わなかった。彼は自らを冒涜者だと言っているのです。なぜなら、天地創造をされた神様の願いは何か。それは愛するということです。彼は愛することを聞いていたのに愛することが出来なかった。どのように彼は愛することを聞いていたのか。それは、律法です。聖書の律法で一番有名なのは「十戒」です。神様は、「わたし以外のものを神としてはならない。」と戒められています。神はただお一人の方です。そして、手で作ったもの、すなわち偶像を拝んではならない。と言われています。偶像とは英語でアイドルです。アイドルの追っかけも、いわば今日の偶像礼拝ですし、また、仕事や家庭が創造主なる神よりも大切になったら、それが偶像になってしまうのです。
 無から有を造られた神以外にまことの神は存在しないのです。しかし、パウロは、自分は冒涜者だった、迫害者だった、暴力をふるう者だったと告白しています。
 外見的には立派な人でした。八日目に割礼を受け、ベニヤミンの出、パリサイ人(ピリピ3:5)ガマリエルの元で教育を受けた(使徒22:3)それでもわからなかった。知らなかったのです。

2,イエス・キリストとの出会い
 しかし、神様は彼を愛され、彼にも救いを与えられたのです。
それはイエス・キリストです。
 キリストは彼を罪の中から救うために来られました。罪とは的はずれで、まったく面白くもなく、空しいものです。そして、自分の心に満足がない。彼はそのような生活をしていました。その空しさから、救うために解放するためにキリストは来られ、しかも、彼が神を冒涜し、暴力をふるっていたことも赦されたのです。罪の赦しは、罪を見逃すことではありません。
 その身代わりに、代価を払うことです。キリストはどんな代価を払われたのか。それは、十字架にかかって自分が罪の裁きを受けることでした。パウロはそのことが解ったのです。
 キリストが身代わりとなって罪を赦して下さる。これよりも大きな愛はない。そのことが解り、彼は自分を罪人のかしらと証しをし、キリストは私を罪から救って下さったと証ししたのです。

3,神がわかる
 私たちも神がわかるようになることが出来ます。それは、神様は私たちの心に、良心を与えて下さった。誰でも、善悪を知ることが出来る思いが与えられているのです。そのことを通して私たちは神さまが解りますし、神様を信じることが出来るのです。

 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)