柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「天の資産」Ⅰペテロ1章3-7節

 

エス様の弟子であったペテロは、ローマまで行き苦しみの中にあるクリスチャンたちを励ましました。小アジアにいるクリスチャンたちにもこの手紙をもって励ましを与えたのです。

1,生ける望みを持つ
 私たちが最も恐れるのは何か。死ではないかと思います。それに対してキリスト教の最大の答えは「復活」です。復活によって、死はいのちにのみ込まれ、永遠のいのちが勝利したのです。
 その具体的現れはキリストの復活です。4月21日はイースターです。キリストのよみがえりを喜び祝う時です。その復活がなければ、キリスト教はなくなっていたでしょう。キリストが復活されたことは事実であり、私たちもまたキリストの復活にあずかることが出来る。それが私たちの信仰であり、希望です。生ける望みとは、今も生きている希望です。成長する希望です。夢がますますふくらむことです。
 春はもうそこまで来ています。桜の開花予想も出ています。春満開の映像もテレビで映し出されています。その時を私たちは待っています。なおさら、イエス・キリストを信じる私たちには希望があるのです。それは天国で生かされる。たとえ死んでも、復活する、栄光の体に変えられる大きな希望が与えられているのです。

2,救いをいただく
 私たちはこの世に永遠に生きることは出来ません。肉体を持っている限り死ぬときがあります。死んだらすべては無になるのか。それなら悩むことはありません。しかし聖書は、死んだ後、神の前に出て裁かれることが決まっていると言っています。ですから、ほとんどの人は死に対する恐怖があるのではないかと思います。自分は一体どうなるのか、天国へ行けるのだろうか、それとも永遠の滅び―地獄に行くのだろうか。
 それに対してペテロは、5節で「あなたがたは信仰により神の御力に守られており」と言っています。神様が守って下さる。そのことを信じることが出来る。幸いなことです。
 そして、「終わりの時に現されるように用意されている救い」それは十字架による贖いです。私たちは自分の罪を自分で解決出来ません。罪の代価は必ず支払われなければなりません。それが十字架です。イエス様は私たちのためにいのちの代価を十字架で払って下さったのです。その十字架が終わりの時に用意されている私たちの救いです。

3,信仰の試練を受ける
 その当時のクリスチャンは、信仰の試練が多くありました。なぜならこの世と妥協できないものがあります。神以外のものを神としない。ローマ時代はまさに、皇帝が神でした。ですからクリスチャンは皇帝を信じない無神論者と揶揄されていたのです。信仰の戦いがあったのです。信仰の試練が日常的にありました。それが6節の言葉で表されています。
 しかし、喜びがあります。この世の試練は永遠ではありません。ほんの僅かの間です。しかも試練は、金を精錬する火のようなものです。信仰は金より尊いものです。永遠のいのちの保証です。どんな困難にも耐えうる神の力です。それが与えられるのです。信仰の試練は金よりも尊いと7節にあります。なぜならキリストの御前に立つときに、信仰の試練は「僕よ、よくやった」と称賛され、神の栄光・栄誉にあずかるものとなるからです。
 私たちはその朽ちず消えることのない天の資産にあずかることを目ざしてすすみましょう。 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)