来週は受難週間になります。イエス様が十字架の苦しみを受けるときですが、その後にはイースター―イエス様が死の中からよみがえられて勝利された日が来るのです。
私たちもまた、様々な苦しみ試練をも、死の中からよみがえられたイエス様によって乗り越えることができるのです。
1,敵を愛する
当時ユダヤの国はローマに支配されていました。ですからユダヤ人にとってローマは敵であり、愛することは不可能な事でした。しかし、イエス様はそのローマ人をも愛し善を行うことを弟子たちに勧めたのです。このことを語られたのは山の上で多くの人たちが聞いている、山上の説教のところだったのです。20節には有名な「貧しい者は幸いです」という言葉が出ています。幸いなことを語られた後に、あなたの敵を愛しなさいと命令されたのです。しかも、ここで語られた愛は特別な愛です。ギリシア語では愛という言葉は4つあります。ストルゲーは肉親の愛です。エロスは異性の愛です。フィリアは友情です。どれも、自分にとって愛すべき値打ちがある、素晴らしい、だから愛するという愛です。
ところが、イエス様が言われた愛は、それらとは異なります。愛する価値がないのに愛する、無価値な者を愛する愛なのです。自分には何のメリットも、楽しみもない、必要もないのに愛する、そのことを命じられました。それは人間にとって不可能な事です。できるはずもないことです。しかし、それを可能にしたのがキリストの愛です。十字架の愛です。
なぜキリストは十字架にかかられたのか、それは私たちを愛して、赦すためであったのです。もし、キリストが十字架にかからなければ、私たちは裁かれ永遠の滅びに行くものでした。なぜなら、私たちはアダム以来、神にそむき、全く愛のない者となり、滅ぼされるべき者であったからです。しかし、キリストはそのような私たちを愛され、身代わりとなって十字架に死んで下さったのです。
そのキリストを信じるなら、私たちは赦され、神の子となることができるのです。
2,キリストの祈り
28節に、祈りが出ています。侮辱する者のために祈りなさいとキリストは言われました。そしてキリストは十字架の上で祈られました。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのかわからないでいるのです。」その祈りによって、私たちは赦され、滅びから救われたのです。祈りには力があります。
罪深い私たちをも、イエス様は愛されています。死んでよみがえった方は、私たちを愛され、私たちに永遠のいのちを与えて下さいます。そのイエス様により私たちは変えられ、恐れることなくイエス様が命ぜられることを喜んで行う者とさせて頂くことができるのです。
(宣教者: 柏原教会牧師 西本耕一)