柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストに似た者となる」1ヨハネ3章1-3節

クリスチャンには二つの希望があります。一つは天国の希望です。死んでどこへ行くのだろうか。信じる者には天国の希望があるのです。そしてもう一つの希望は何でしょうか。それは、私たちがキリストに似た者となるということです。その希望を弟子のヨハネは語ったのです。


1,神の子としての特権

ここに繰り返し出てくる言葉があります。「神の子ども」です。弟子のヨハネは比較的裕福な家に生まれました。彼は自分の思いを遂げようという心がありました。天国でもイエス様の脇におらせて頂きたいと願いましたし、福音を伝える時も受け入れない町を焼き滅ぼすような過激なことまで言う人でした。ですから、ボアネルゲ雷の子とあだ名されていたのです。
しかし、彼は変えられました。雷の子から愛の使徒と変えられたのです。彼を変えたのは、イエス様の十字架の愛でした。十字架の上でイエス様はご自分の母マリヤをヨハネに託しました。おそらく彼はそれに応えたでしょう。それだけでなく、他の人々にとっても愛の人と変えられたのです。それは特権でした。信じる者に与えられる特権です。彼はヨハネ1:12で「神の子どもとされる特権」とはっきり言っています。
私たちもその特権に預かっているのです。


2,キリストに似た者となる

ヨハネはこの手紙を書いた時、もうすでにかなりの年齢になっていたと思われます。ですから、彼の望みはこの地上で長く生きることではなかったと思います。むしろ、天国―神の国で生きることを願っていたと思います。
2節に、後の状態、キリストが現れたならとは、天国での状態そして、栄光のキリスト天国に行かれたイエス様にお会いすることを語っているのでしょう。
そして彼はキリストにお目にかかるのを恥じません。なぜなら、キリストに似た者となることがわかっているとはっきり確信を持って言っているのです。
神の子として生まれるとは、性質が似ることです。何よりも私たちは、イエス様の性質に似た者となることができるのです。それは私たちの力・賜物によるのではなく、聖霊の働きです。別の言葉で言うなら「内にいますキリスト、栄光の望み」です。聖霊によって私たちは、キリストのかたちに変えられていくのです。 
私たちはキリストのありのままの姿を見るとヨハネは言いましたが、キリストを見ることによって私たちはキリストの姿に変えられて行きます。そしてそれは私たちの希望となります。キリストに似た者となる、変えられる、キリストの愛によって生きる者となるのです。あの十字架にかかられた時も、「父よ彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか分からないでいるのです」と祈られました。その祈りを聞いて、一人の強盗は変えられたのです。ののしりから、御国の位につかれたら私を思い出して下さいと言う人に変えられたのです。キリストの十字架は人を救うことができます。その魂を新しく造りかえて、きよいものとされるのです。強盗はすばらしい約束に預かったのです。「あなたも私と共にパラダイスにいます。」その言葉が与えられました。彼も神の子とされたのです。私たちも同じです。心が造りかえられ、清くされる、そのことを信じ、感謝いたしましょう。


                   (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)