柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「天国の報い」黙示録7章16-17節

本日は召天者合同記念礼拝ですが記念礼拝を持つことには大切な意味があると思います。一つは、私たちはこの地上で礼拝をしているのですが、実は天国でも礼拝があると言うことです。天国での礼拝について私たちには詳しくわかりませんが、新約聖書の黙示録にはそのことについて記されています。そして私たちもやがては、この地上の生涯を終えて天国に行くときがあります。
天国でもこの世でも、イエス・キリストを崇め礼拝しますが、この世と天国は全くちがうものです。何がちがうのか。天国には罪がありません。しかし、この世は罪によって汚れ、滅びに向かって行っています。


1,罪の赦し

天国に入るためには一つの大切なことがあります。それは罪の赦しです。罪とは何か。それは的外れであると聖書は言っています。「的をえる」ことは何か。神を信じ従うことです。しかし人間は神を認めず、神に従いませんでした。それは最初に造られたアダムとエバがそうであったからです。神さまは彼らにすべてを与え支配するようにされました。しかし彼らは欲が出て、神のようになりたいと思い、悪魔に騙されて罪を犯してしまったのです。取って食べてはならない木の実を取って食べたのです。そのような思いは私たちのうちにもあります。私たちは罪人であり、悪いことを考え悪を行ってしまします。そうしたものが天国には入れるでしょうか。入れないのです。なぜなら天国は悪がないところです。もし罪や悪が横行しているなら、もはや天国ではありません。
天国に入るためには、私たちから罪が取り除かれなければなりません。その方法は一つです。イエス・キリストの十字架です。キリストの十字架は私たちの罪を取り除くためでした。 なぜならキリストは一つも罪を犯されませんでした。罪を犯していない者がなぜ、十字架にかけられたのか。それは、私たちの身代わりとなって私たちの罪を背負い、私たちの罪を取り除くためであったのです。
そのキリストの十字架を信じるなら、私たちのうちから罪が取り除かれ、私たちは赦されるのです。そして何よりも天国の豊かな恵みに預かることができるのです。


2,天国の報い

この世では飢饉があり飢えている人は沢山います。しかし天の御国では飢えることがありません。絶えず食物が与えられ満足できるのです。イエス・キリストはご自身をいのちのパンであると言われました。私たちはキリストの言葉によって、魂が満たされ、生きる活力が与えられます。
また渇くこともありません。天国では、いのちの水の川が絶えず流れ潤され、渇きが癒やされるのです。 ヨハネ福音書4章でイエス様は、離婚を繰り返し同棲をしていた女の人に話しかけられ、「この水を飲む者はまた渇く、しかし私が与える水を飲む者は渇くことがないばかりか、永遠のいのち水がわき出る」と言われたのです。その女の人は信じて人生が変わりました。そして自分の魂を癒やし、満たして下さったイエス・キリストを多くの人に紹介したのです。
この世では、寒さや暑さの厳しいときがあります。しかし天国では気候の厳しさはありません。絶えず神様の守りの中にあるのです。そして何より素晴らしいのは、イエス・キリストが私たちを守って下さり、慰めを与えて下さるのです。目の涙をすっかりぬぐい取って下さると聖書にありますが、私たちはこの世での悲しみや苦しみ、また意気阻喪したり、気力を失ってしまうことなどがありますが、イエス・キリストは私たちを慰め励ましてくださるのです。それがキリスト教の救いです。
先に天国に召された方は、このキリストを救い主と信じ召されていきました。そして今は、死も悲しみもない天の御国で、全く新しい喜びの人生を得ておられるのです。
私たちも又、キリストを信じ永遠のいのちが与えられて、天の御国でお会いする者とさせていただきましょう。


             (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)