柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「自分のいのちを与えるために」マタイ20章25-28節

いよいよ来週はクリスマスです。イエス・キリストをお祝いする日です。なぜなら、キリストは私たちに新しいいのちを与えられ新しく生きる者とされたからです。
その原動力は十字架です。十字架によって私たちの価値観・生き方は変えられキリストの喜び恵みに満たされることができます。


1,この世的な生き方

しかし、神様が与えて下さるのとはちがう生き方があります。それはこの世的な生き方です。そのことについてイエス様は25節で語られています。支配することと権力を振るうことです。なぜ人は権力を振るい支配しようとするのでしょうか。それは自分自身のうぬぼれ、自画自賛、注目され偉くみられたい、自分の名をあげ自分の意思を人に押しつける欲望等です。それは傲慢であり神に対する高ぶりです。これらは全く神から離れた価値観です。そのような者は天国には入れないし、天国では生きることができないのです。
この世では、そのような者が横暴に振る舞っていることを見ることができます。なぜなら、この世は神から離れて、自己中心的になり、他人を滅ぼすような生き方をしているからです。そのような生き方をしていると結果はどうなるのでしょうか。滅びていくと言うことです。残念ながら、この世は滅びに向かって行っています。この世が永遠に存在することはありません。滅びてしまいます。ですから、救われる必要があるのです。


2,皆に仕え僕となる

天国で生きる人たちは、この世の人たちとは異なります。それは、仕える僕としての姿で解ります。キリストの僕は、へりくだって謙遜です。聖書にキリストを着なさい、という言葉がありますが、謙遜を身につけることです。謙遜な者へりくだる者は天国の門をくぐって入ることができます。傲慢なもの不遜な者は、天国の狭き門は入れず、滅びの道にくだっていくのです。注意しなければなりません。
そして、イエス様は、あなたがたの間では、と言われました。キリストを信じる弟子たちの間では、支配したり権力を振るったりしてはならないとイエス様は戒められたのです。
事の起こりは、ヤコブヨハネが天国でイエス様の右と左に座れるようにと願ったからです。それは高慢な願いであったのです。イエス様は弟子たちを戒められ、そして仕える者、僕となりなさいと言われました。
エス様は言われただけでなく、最後の晩餐の時、自ら手ぬぐいをとり、弟子たちの足を洗われて手本を示されたのです。あなたがたの間では、権力をふるうものではなく、仕える者となりなさい。それはキリストの命令です。その命令に従うなら、祝福を得、永遠のいのちに預かるのです。


3,贖いの代価

仕える力はどこから来るのか。先ほど言ったように、十字架から来るのです。パウロが言ったように、十字架こそが私たちの力の原点であるのです(?コリント1:18)。
字架とは、贖いの代価です。キリストが身代わりに罪の代価を命をもって支払って下さったのです。
その人は、罪から解放されます。罪を犯したい、過ちを繰り返したいとは思いません。十字架が力となって罪を止めて下さるのです。そして、死からの解放です。キリストの命によって、私たちは、永遠に生きることができるのです。
クリスマスは、キリストがへりくだって神の御子が卑しい人間に生まれて下さり、私たちに救いを与えて下さった素晴らしいプレゼントです。私たちも、罪の赦し永遠のいのちの賜物に預かる者とさせていただきましょう。


  (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)