柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会のかしら」エペソ1章20-23節

パウロはローマの獄中でこの手紙をエペソにいるクリスチャンたちに書きました。それは、この世の中にあっても信仰により勝利が与えられることを語っているのです。


1,神の力

聖書の神は全能の神です。すべてのものを造られ支配しておられます。そして神の御子キリストは万物の創造者です(コロサイ1:16)。
この手紙を書いたパウロは、かつてキリストの迫害者でした。ダマスコにある教会を迫害するために出かけました。ところが彼はその途中で彼の人生を変える大きな出来事に遭遇したのです。それは、復活のキリストに出会うと言うことでした。彼は復活のキリストによって人生が180度転換したのです。自己中心の生き方から、キリスト中心の生き方に人生が変えられました。ですからここでも、キリストの復活を語っているのです。エペソほど伝道の困難なところはなかったと思います。アジア州の州都であり、商業の中心地でした。また、宗教も盛んでした。何でもあるような町でした。ですから、別にキリスト教は必要ではなかったのです。
ではなぜ伝道されたのでしょうか。それは、たとえこの世で栄えていてもやがては滅びの時が来るからです。人間には、死の現実があるからです。それに打ち勝つことができるのは、ただキリストの復活だけです。そのことをパウロは伝えました。そしてそれは今の時代でも同じです。私たちはやがて死にます。しかし、永遠の滅びに行かないように、私たちには救いが必要です。どのようにして永遠のいのちに預かることができるでしょうか。それは、死の中からよみがえられたキリストを信じる以外にはないと言うことです。パウロもまた、キリストを信じて永遠のいのちに預かりました。そして彼は喜びを持って、キリストの救い、永遠のいのちを全世界に伝えていったのです。 やがてはすべての終わりの時が来ます。誰が裁かれるかというとイエス・キリストです。すべての権威が与えられ、父なる神の右の座におられ、父なる神と同等であり、すべてのものを裁かれるのです。
ただ感謝な事には、キリストはこの世に来られました。そして、私たちの罪を赦すために十字架にかかり死んで下さったのです。私たちが、このキリストを自分の救い主と信じて心に受け入れるなら、私たちは救われるのです。罪の赦しが与えられ、死んだならば必ず天国に入れてもられるのです。


2,教会のかしら

ですから、私たちのできることは何か。このキリストを私の主として受け入れることです。そして、キリストを自分の主として、キリストに従うと言うことです。
キリストには、一切のものを従わせる権威が与えられています。キリストには力があります。病を癒やし、嵐を静められ、死人をも生かすことのできる力があるのです。やがては栄光の王として私たちの前に現れるときがあるのです。地にあるものも天上にあるものもすべてが膝をかがめて、キリストを礼拝するときが来ます。
しかし父なる神様は私たちに驚くべきことをなされました。それは、キリストを信じた者は、キリストの下にあるのではなく、キリストのからだとしてくださったことです。私たちをキリストにつながるものとされたと言うことです。もはや、私たちは奴隷として従うのではなく、キリストの体として、またお互いが、手足となって従うことです。キリストをかしらとし、キリストの命令によって動くものとなるのです。人間の体も、肉体と精神のバランスが大切です。運動選手は体だけではなくメンタルも鍛えています。イメージトレーニングをしています。私たちも、信仰を働かせます。行うことだけでなく、信じることによって私たちは行動するのです。それは、かしらであるキリストからの命令によって私たちは動くことです。キリストが命じられたのは愛によって生きること行動することです。新しい戒めを与えられました。私たちはキリストをかしらとして、十字架に死んで罪を赦し、復活のいのちに満ちておられる方が私たちを満たされることを信じて、キリストに従いましょう。


  (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)