柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神との和解」ローマ5章8-11節

キリスト教の特徴は一言で言うと愛の宗教と言えるのではないでしょうか。今読んだ聖書の中にも「愛」と言う言葉が出ています。しかも、神様は私たちに対するご自身の「愛」を明らかにされていると書かれているのです。私たちが神を愛するのではなく、神が私たちを愛して下さる、実はそれがキリスト教の愛と言うことです。
私たちは、愛を求めます。その愛は何かというと、自分が愛されるという愛ではないでしょうか。人に喜ばれたい、人からよく思われたい、人からの愛を求めているのです。しかし、その愛は、自分の心を満たしているでしょうか。むしろ、人に愛されたいがために、人によく見せる、そのために疲れ果ててしまっているのではないかと思います。
しかし、キリスト教の愛は、人から愛されるため、とか、人に愛されるためによくしてあげたい、人から喜ばれたいとは実はちがいます。神様が私を愛して下さる、神様が常に私を愛し、守り、平安を与えて下さる。それがキリスト教の愛です。その具体的な現れが、イエス・キリストです。イエス・キリストは私たちを救うために来られました。何から救うためでしょうか。それは、永遠の滅びから、命を失うことから私たちを救われるのです。
キリストが十字架にかけられたのは、まさに滅びから救い永遠のいのちを与えるためでした。8節に、罪人であった時、キリストが私たちのために死んで下さったとあります。十字架に磔になって死んだものは多くあります。磔になって呪いながら死んでいった人もいるでしょう。しかし、キリストは呪いよりも、自分を十字架にかけた人たちの罪を赦して下さいと父なる神に祈られました。それが、神様の真実の愛のあらわれです。ですから今でも、キリスト教のシンボルは十字架です。そこに、神の愛とゆるしが表されているのです。その十字架は私たちにとっては大きな力です。私たちは、自分に敵対する人や暴力をふるってくる人いやな人を赦すことはできません。しかし、神様が愛して下さって、自分に愛の力を与えて下さるならそれは可能です。人をゆるし、愛することができるのです。
この手紙を書いたパウロは、クリスチャンを憎んでいました。愛せませんでした。理解もできませんでした。ところが、彼は復活のキリストにお会いして、人生が変わったのです。憎しみから愛に生きる人に変えられたのです。何が彼を変えたのか。神の愛です。神の赦しです。キリストの血によって義と認められる、十字架によって自分の心の罪が赦される、そのことが解り信じたのです。それによって大きく彼の人生は変えられました。
十字架は、父なる神様が与えて下さった和解の道であり、キリストの十字架を信じるなら私たちのすべての罪は赦されます。神の子とされ愛されて大いに神を喜ぶことができるのです。


              (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)